2012年6月26日火曜日

緩和医療学会に参加して

6月22日(金)、23日(土)の両日、緩和医療学会に参加してきました。

緩和ケアというと、どうしても末期的な医療というイメージを引き摺っているのですが、
今年度のがん対策基本計画の見直しでは、
「緩和ケアは、がんと診断された時から、がん治療と並行して行われるべきもの」
という見解が厚労省より示されました。
がん患者が最初に受ける緩和ケアが「告知によって精神的に動揺を来たした場合」となりますように。

「緩和ケア」って何? ということが緩和医療学会でも取り上げられていました。
疼痛緩和など、医者が行う医療行為というのは理解しやすいのですが、
緩和ケアには、医療者の物差しでは測れない問題も沢山あって、
対処に戸惑っておられる様子も垣間見えてきました。
患者の物差しに寄り添うと言っても、相手は人間ですから千差万別。
それを看護の実践にどう結び付けるかとなると、これはなかなか難しいし、
まじめにやればやるほど、カバーしなければならない範囲もどんどん広がっていく。
看護師さんは医者以上に大変かも知れません。

医者の物差し      患者の物差し
・Cure          ・Care  
・How long live      ・How live
・Biological life     ・Narative life
(生物学的生命)   (生き様、人生観、価値観)

人は誰でも死ぬけれど、どう死ぬべきかはなかなか答えが見つかりません。

私は母を亡くした時に悔しい思いをしたことがあります。
ナースステーションからガラス越しに様子を見ていた医者が、心電図が止まると
「ご臨終です」と言いながら、部屋に入って来て、酸素マスクに手を掛けました。
その途端にまたモニターが動いたんですね。
医者はしぶい顔をしながら引き返し、次にモニターが止まった時には、
さっさと部屋に入ってきて、急いで酸素マスクや体に付いている管を外し始めました。
我々に声をかけるでもなく、母に手を合わせるでもなく・・・完全に物体扱い。
私たちはあっけにとられて涙をこぼす暇さえありませんでした。

「臨終の時に心電図モニターは必要か」という発表がありました。
看護師にアンケートで解答をもらった結果、必要ないという答えが多かったそうで、
理由としては、最後の時を大切に、静かに(モニター音が気になる時も)過ごして欲しいから。
ああ、ステキな看護師さんが多いんだなとちょっと嬉しくなりました。
亡くなる時は判りますよね。大昔から人間は営々と人を見送ってきたのですから。

エンゼルケアと言えば死化粧(死後処置)ですが、これも家族に立ち会いを求めるかどうか。
現状は様々なようですが、立ち会ってもらうというのが徐々に増えつつあるようです。

デス・カンファランスという言葉を初めて知りました。
患者・家族の満足度や終末期の病状コントロール、看護目標の達成度などを
振り返って、終末期ケアの質の向上を諮るためのカンファランスですが、
亡くなった患者を担当した看護師のストレスマネージメント(グリーフケア)にもなると言う。
遺族となった時は、吾身ばかりを悲嘆しがちですが、心をこめて看護してくれた
ナースなら、やはり喪失の悲しみを抱えているということを忘れてはなりません。
「デス・カンファランス」に家族が立ち会うことはないはずですが、この用語には、
ちょっと辛い響きがありますね。
死後処置をエンゼルケアと呼ぶならば、例えばこれを「エンディング・カンファランス」とか
もう少し優しい名前に変えてほしいものです。

市民公開講座の主題は、「胃ろう」の問題。
胃ろうとは、口から食べる代わりに胃に穴をあけて栄養(薬剤)補給をするものです。
講演が3題ありましたが、私が一番興味を惹かれたのは、徳永 進先生。
鳥取県で「野の花診療所」を開いておられ、もう1000人以上を看取っておられます。
ひょうひょうとして気取らずに・・・
「世界中にはいろんな命がある。命は皆大切だが、己の命に固執してはいけない。」

誤解を恐れずこれだけのことを真剣に言ってくれるドクターはなかなか居ないと思いました。

こんな本も書いておられます。
http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E3%82%92%E8%B1%8A%E3%81%8B%E3%81%AB-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%BE%B3%E6%B0%B8-%E9%80%B2/dp/4480427139/ref=pd_sim_b_5
谷川俊太郎評:「こんな医者がそばにいてくれたら、笑いながら死ねるだろう」

どう生きるかとどう死ぬかは表裏一体ではないでしょうか。

2012年6月20日水曜日

「虐待」を考える

リレーフォーライフ芦屋は今年で6年目を迎えます。
その間、知り合ったサバイバー(がん体験者)も多いのですが、残念ながら、ほぼ毎年のように誰かが「卒業」していくのも、これまた事実です。
骨髄性白血病で歩けなくなり、それでも車いすで参加してくれていた「島ちゃん」も、2010年の暮れに「卒業」しました。彼には島田妙子さんという妹が居て、「島ちゃん」亡き後も、RFL芦屋に参加くださっています。

今日は川西市で人権と虐待を考える市民講座があり、講師はその島田妙子さん。
妙子さんが本を出版されたとか、どこそこで講演をされたとかいう話は伝え聞いていましたが、直接ご本人のお話をお聞きするのはこれが初めてでした。
いやぁ、子供時代の赤裸々な虐待体験は衝撃的でしたね。激しく胸が揺さぶられ、何度も涙があふれそうになりました。
虐待を受けている子供を見つけたら、通報し、親から切り離すだけではダメ。親も変えていかないと、親にも助けの手が必要!と訴えておられます。

以前、産経新聞に載った記事を見つけました。(↓)
是非、一度読んでみてください。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120407/wlf12040712000014-n1.htm

2012年6月18日月曜日

倉敷

今年の2月、生保さんのセミナーで(広島)、私の話を聞いてくださった信金の常務理事さんからお声掛けをいただき、このたび倉敷(水島地区)で、話をさせていただく機会を頂戴しました。
某経済研究会主催の「文化講演会」ということで、まず始めは「沙羅双樹の花」で名高いお寺のお坊様が演壇に立ち、源平合戦にまつわるエピソードを披露され、そのあとで、「経済」や「文化」とはほとんど無縁の私が、「がん」にまつわる話をすると言うもので、場違いじゃないかとひやひやものでしたが、なんとか無事に60分の勤めを果たすことができました。

倉敷の地は約30年ぶりだったため、帰りには美観地区に立ち寄って、(アイビースクエアまで車で送っていただきました)一人で街並み散策と洒落込みました。

アイビースクエアの一隅


これはアイビースクエアを裏に抜けたところの土産物屋街。店の人も暇そうに世間話。


このあたりは、倉敷に来た観光客なら、たいていどなたでも訪れるところでしょうね。

船が近づいて来たので、「写真撮らせてね~」と一声かけてパチリ。

この路地の突き当たりは本栄寺という小さな寺
作務衣のおっちゃんが突然現れたのですが、景色に似合いそうなのでそのままパチリ。

どんよりした空模様でしたが、なんとか雨に降られずにすみそうかな・・・とほくそ笑んでいたところ、世の中はそう甘いもんではありませんね。ざっと一通り見終わるか終わらない内に、急に雨が降りだし、逃げるように駅に向かいました。

2012年6月17日日曜日

RFLチャリティコンサート

リレーフォーライフ芦屋のプレイベントとして、今年で4回目となる「心のバリアフリー・チャリティコンサート」が地酒の蔵元が立ち並ぶ灘の一画「酒心館」で開催されました。
杉玉がぶら下がる長屋門をくぐって中に入ります。
幾棟かの建物は、皆、酒造を模様替えしたものですから、非常に落ち着いた雰囲気で、中庭の左手は和風レストラン「さかばやし」、酒林というのは杉玉と同じ意味ですね。右手が酒造りの展示と土産物グッズの販売所(試飲もできます・・・もちろんきっちり味見をさせていただきました)、一番奥が今回利用させていただいた「酒心館ホール」となっています。
これはリハーサル中の写真です。後ろでは「さをり織」の布をディスプレイ中。9月のRFL芦屋では、一昼夜歩き(走り)続ける横で、皆で交替でこの布を織り続けます。延長は25mにもなるという。
来場者は約100名。
中央のステージを囲んで、古材がむき出しのほっこりとした空間で、ここでピアノとオルガンの演奏を楽しみます。オルガンというと、我々の年代では、昔、小学校の教室に置いてあったようなのを思い浮かべますが、現代のオルガンは驚くほどいろんな音が飛び出すので、まるでシンセサイザー(これも良くは知らないのですが)の様ですね。
このコンサートの主役(企画・構成)たけうちかおりさんの演奏から始まって、終盤は小学生の子供たちも連弾で登場、和やかで良い演奏会となりました。

途中で、リレーフォーライフに関するインタビュータイムがあって、私も「キャンドルラン」についてちょっとおしゃべりしたんですが、たったそれだけで、大きな花束をもらうことに。
ひょっとしたらこんなことは人生初かも?
コンサート終了後、スタッフ一同で写した写真がこれ。(↓モノクロは写真のプロヒデさんが撮影)
この後、打上で、阪神御影駅近くの飲み屋に移動しましたが、明日の出張予定が気に掛り酒量はかなり控えめでした。