緩和ケアというと、どうしても末期的な医療というイメージを引き摺っているのですが、
今年度のがん対策基本計画の見直しでは、
「緩和ケアは、がんと診断された時から、がん治療と並行して行われるべきもの」
という見解が厚労省より示されました。
がん患者が最初に受ける緩和ケアが「告知によって精神的に動揺を来たした場合」となりますように。
「緩和ケア」って何? ということが緩和医療学会でも取り上げられていました。
疼痛緩和など、医者が行う医療行為というのは理解しやすいのですが、
緩和ケアには、医療者の物差しでは測れない問題も沢山あって、
対処に戸惑っておられる様子も垣間見えてきました。
患者の物差しに寄り添うと言っても、相手は人間ですから千差万別。
それを看護の実践にどう結び付けるかとなると、これはなかなか難しいし、
まじめにやればやるほど、カバーしなければならない範囲もどんどん広がっていく。
看護師さんは医者以上に大変かも知れません。
医者の物差し 患者の物差し
・Cure ・Care
・How long live ・How live
・Biological life ・Narative life
(生物学的生命) (生き様、人生観、価値観)
人は誰でも死ぬけれど、どう死ぬべきかはなかなか答えが見つかりません。
私は母を亡くした時に悔しい思いをしたことがあります。
ナースステーションからガラス越しに様子を見ていた医者が、心電図が止まると
「ご臨終です」と言いながら、部屋に入って来て、酸素マスクに手を掛けました。
その途端にまたモニターが動いたんですね。
医者はしぶい顔をしながら引き返し、次にモニターが止まった時には、
さっさと部屋に入ってきて、急いで酸素マスクや体に付いている管を外し始めました。
我々に声をかけるでもなく、母に手を合わせるでもなく・・・完全に物体扱い。
私たちはあっけにとられて涙をこぼす暇さえありませんでした。
「臨終の時に心電図モニターは必要か」という発表がありました。
看護師にアンケートで解答をもらった結果、必要ないという答えが多かったそうで、
理由としては、最後の時を大切に、静かに(モニター音が気になる時も)過ごして欲しいから。
ああ、ステキな看護師さんが多いんだなとちょっと嬉しくなりました。
亡くなる時は判りますよね。大昔から人間は営々と人を見送ってきたのですから。
エンゼルケアと言えば死化粧(死後処置)ですが、これも家族に立ち会いを求めるかどうか。
現状は様々なようですが、立ち会ってもらうというのが徐々に増えつつあるようです。
デス・カンファランスという言葉を初めて知りました。
患者・家族の満足度や終末期の病状コントロール、看護目標の達成度などを
振り返って、終末期ケアの質の向上を諮るためのカンファランスですが、
亡くなった患者を担当した看護師のストレスマネージメント(グリーフケア)にもなると言う。
遺族となった時は、吾身ばかりを悲嘆しがちですが、心をこめて看護してくれた
ナースなら、やはり喪失の悲しみを抱えているということを忘れてはなりません。
「デス・カンファランス」に家族が立ち会うことはないはずですが、この用語には、
ちょっと辛い響きがありますね。
死後処置をエンゼルケアと呼ぶならば、例えばこれを「エンディング・カンファランス」とか
もう少し優しい名前に変えてほしいものです。
市民公開講座の主題は、「胃ろう」の問題。
胃ろうとは、口から食べる代わりに胃に穴をあけて栄養(薬剤)補給をするものです。
講演が3題ありましたが、私が一番興味を惹かれたのは、徳永 進先生。
鳥取県で「野の花診療所」を開いておられ、もう1000人以上を看取っておられます。
ひょうひょうとして気取らずに・・・
「世界中にはいろんな命がある。命は皆大切だが、己の命に固執してはいけない。」
誤解を恐れずこれだけのことを真剣に言ってくれるドクターはなかなか居ないと思いました。
こんな本も書いておられます。
http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E3%82%92%E8%B1%8A%E3%81%8B%E3%81%AB-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%BE%B3%E6%B0%B8-%E9%80%B2/dp/4480427139/ref=pd_sim_b_5
谷川俊太郎評:「こんな医者がそばにいてくれたら、笑いながら死ねるだろう」
どう生きるかとどう死ぬかは表裏一体ではないでしょうか。
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