転移は見当たらなかったということで、ひとまず、ホッ(^^;
無罪放免ではなく、「転移」より「限局再発」の可能性が高まったというだけの意味ですが、
それでもやっぱりねぇ・・・だいぶ違いますヨ。(^^)v
うずくまってくれているだけなら、連れ添っていくのも良し。
とりあえず次回検査(2ヵ月後)までは無治療のまま経過観察を続けることになりました。
帰り道は気分に寄って変わるのですが、今日は高瀬川沿いをぶらつきました。
島送りにも動じない高瀬舟の囚人の心境になれれば怖いもの無しなんですが・・・
そこはやっぱり小市民(^^)>
写真は安藤さん設計の商業施設「Time's」です。
川の向こうに並んでいるのが佐久間象山、大村益次郎遭難の碑。
遭難と言えばすぐに山を連想しますが、この頃は斬られることですね。
立て札にはこんなことが書かれていました。
「元治元年(1864)7月11日、木屋町通を馬に乗って通りかかった佐久間象山は、刺客に
襲われて斬られ絶命した。
明治2年(1869)9月4日、木屋町通の東側にあった宿所で大村益次郎が刺客に襲われて
斬られ、その傷がもとで、同年11月5日大阪の病院で没した。」
土佐の武市瑞山(半平太)とその弟子吉村寅太郎は、一時期隣同士で住んでいたとか。
それぞれの寓居跡の石碑がこれ。
この辺りは何度も通っているとこだけど、史跡も多いところなのでなかなか飽きません。
幕末から明治にかけての話は「司馬遼太郎」もかなりたくさん書いてくれていて、
私もだいぶ読んでいるはずなんですが、大村益次郎(村田蔵六)といえば、確か「花神」の
主人公など、ごく大雑把には思い出せても、具体的に本の中身がどうだったと言われても
ほとんど覚えておりません。記憶力の良い人達がうらやましい(^^)>
幕末から明治にかけての話は「司馬遼太郎」もかなりたくさん書いてくれていて、
私もだいぶ読んでいるはずなんですが、大村益次郎(村田蔵六)といえば、確か「花神」の
主人公など、ごく大雑把には思い出せても、具体的に本の中身がどうだったと言われても
ほとんど覚えておりません。記憶力の良い人達がうらやましい(^^)>
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