2014年1月6日月曜日

四国88カ所(土佐編-1)

舞子(神戸)からバスに乗り、大師像前で降りたのは13時半でしたが、始めは満席だったので、杖を網棚に乗せたのですが、一瞬忘れそうな厭な予感がしたのですが、案の定その通りとなりました。(^^;;;
降りてから気が付き、慌ててバス会社に連絡、先のどこかの停留所で受け取りたいと言ったのですが、有人の停留所は室戸ぐらいで、それも時間帯によっては無人となるので、受取人払いで自宅に送るしかないとのこと。結局、お大師さんの道連れはないまま歩く事に(^^;;;
功徳のないのは止むを得ないとしても、罰があたらなければ良いのですが。
これは、この地で修業をなされた、青年時代の大師像です。
ここまでデカイのを建てずとも良さそうに思ったのですが・・・

大師像から数分で、御蔵洞に到着。司馬遼太郎の「空海の風景」を読んだのは何年も前なので、あまり覚えていないけど、確かこの洞穴に籠って修業をなされ、星(光)が口に飛び込んで、悟りを開いたとか。(うろ覚えなので間違っているかも)
海岸辺だった洞窟も、現在はその間に国道が走っている。

 中は奥へ行くほど広くなっており、教室ぐらいの広さは十分あり、立派な祠が祀られている。

国道から山道に取りかかると、大きなフキのような植物が所々に。これはなんやろ。 

こんな感じの山道を、標高にして約160m登る。着込んだままだったので、背中に汗がじんわり。

24番札所、最御崎寺(ほつみさきじ)に到着。門松などの正月飾りがしてあった。
止まると急に汗が吹き出してきて、上はフリースに半袖の白衣のみとする。

本堂。この右に多宝塔、左に太子堂がある。お線香やローソクは大抵省きますが、ちゃんとそれぞれで納札とお賽銭を入れ、お経を唱えます。

山道でみた植物の名前がここで判明。くわずいも!・・・お大師さんが食えないと言ったとか。

 下りはお寺の裏のスカイラインを辿ります。七曲の途中からみた岩と光る海のコントラストが面白かったので撮ってみました。

海沿いに北西に進みます。トンビが悠々と輪を描いてます。昔は近所でも良く見かけた気がするのですが、最近はとんと見かけぬようになりました。

左手に光る海をみながら進みます。


あちこちで小型漁船をたくさん見かけました。


24番から6.5kmで、25番津照寺(しんしょうじ)に到着。

船の大漁旗のような幟がはためいていましたが、こんな寺はめずらしいのでは?

これは鐘楼門で、この奥に本堂があるのですが、現在は工事中で、本堂の拝観は出来ません。
右手にある太子堂にご本尊を移しているとのことなので、ここのお参りは一か所のみでした。
写真の旗竿の左に梯子のようなものが見えていますが、資材の荷揚げ用のレールです。
手を清める手水舎もなかったので、たぶん、この奥にあるのでしょう。

この辺りで良く見かけるのがこの花です。葉は大きなアロエのようですが、いかにも南国っぽい感じがしますね。

みかんなどのかんきつ類が普通に道端に植えられています。ちょっと手を伸ばせばいくらでももぎ取れるのですが、だれもそんなことはしないようですね(^^;

そろそろ日も傾き始めてきました。


金剛頂寺の宿坊はうわさでは良さそうなので、泊まりたかったのですが、正月はやっていないと言われ、その手前の民宿泊まりとしました。正月料金で(競争相手がお休みだから?)1000円ほど割高となっていました。(^^;

2013年11月18日月曜日

ラジオNIKKEI「井手口直子の薬剤師GO!」

この二日間(11/15~16)、有楽町~渋谷~新宿~中野~お茶の水界隈あたりをうろちょろして、今夜帰ってきました。

ラジオNIKKEIの「井手口直子の薬剤師GO!」という番組に出演依頼を頂戴したのは、1月ほど前だったと思うのですが、薬剤師を目指す学生さん向けの番組で、学園祭での公開録音だとお聞きし、内容はあまり判らないながらも、とりあえず私でお役に立てるならと、お引き受けをさせていただきました。

東京にはたまにしか出かけないもんで、用事はなるべくまとめて済ましたいということで、15日は少し早めに家を出て、まずは来年初開催となる「リレー・フォー・ライフ・ジャパン神戸」に関して、日本対がん協会と打合せ。そのあと、夕方からは翌日の公開録音の下打合せとスタッフの顔合わせでした。基本的には聞かれることに答えるだけなので、大した打合せが要るわけでもなく、気は楽だったんですが、14日あたりから喉の調子が悪く、声がかすれてガラガラ・・・情けない声しか出ず、かなり苦労をしました。


ホテルから見た都庁と新宿中央公園

本番での喉の調子が気がかりでしたが、ホテルでは暖房をつけずにマスクをして寝たところ、かなり回復し、なんとか無事に90分の公開録音を終えることができました。
井手口先生の司会で、エッセイストの岸本葉子さん(虫垂がん)と私(前立腺がん)がゲスト。3人が交互にしゃべるので、短い話ししかできず、あっという間に終わってしまったという感じでした。
放送日まではまだ数週間あるので、また改めてお知らせします。
この写真の後ろの建物が「帝京平成大学」の中野キャンパス、薬学部がメインですが、ここでの学園祭のプログラムの一つとして今回の公開録音が行われました。
コスプレ喫茶も複数あり楽しそうで入ってみたかったのですが、ぐっとこらえて退散。(^^)>

帰りにはこんなところにも立ち寄ってきました。


神田明神




湯島聖堂


後日】

ラジオNIKKEIで放送されましたが、やはり声が荒れてて聞きにくいですね。
でも、前日の状態から思えば、これでもずいぶんましになったほうです。
本来はもうちょいええ声のはずなんですが(笑)
パソコンでオンデマンド配信にアクセスすれば、いつでも聞くことができます。




リレーフォーライフ神戸をやりたいということと、前立腺がんの患者会を立ち上げたいということも、チラリと語ってますので、もし試聴されるようなら、こちらからアーカイブを探してみてください。
http://www.radionikkei.jp/yakuzaishi-go/

【アーカイブ
このページの右欄の中ほどに青い枠で囲まれた部分の中から、下のタイトルを見つけてクリックしてみてください。

 ・患者さんと語ろう! これからの医療(1)
            ~がん体験とこれからの医療について~
 ・患者さんと語ろう! これからの医療(2)
            ~がん体験とこれからの医療について~


2013年10月14日月曜日

リレーフォーライフ大手前に参加して

リレーフォーライフとは、夜を徹して、ほぼ24時間リレー方式で歩き続けるがん患者支援イベントであり、これと共に講演会やステージなど多彩な催しが同時並行的に行われます。募金を集めるということが大きな狙いであることは事実ですが、がん患者(サバイバー)にとっては、誰に遠慮することもなく、サバイバー(体験者)だと胸を張れる場所であり、毎年参加するサバイバーにとっては、また会えたねと、お互いの生あることを喜び会え、心が癒される場でもあります。「究極の緩和ケア、ここにあり!」と言っても過言ではないのでは。
会場に居るとともかくほっとしますね・・・理屈抜きにこういう場所は大切にしたいと思っています。

このたびは(9/12~13)大阪府立大手前高校で開催された「リレーフォーライフ」に参加してきました。公立高校で開催の運びとなったのには、それなりの理由があります。是非、この新聞記事を読んでみてください。


日本対がん協会のブースでは、リレーフォーライフで集まった募金の使途を広報していました。
昨年のRFLでは5500万円が集まり、プロジェクト未来(若手医師の養成)に1500万、がん専門医の育成に1000万、無料電話相談に1200万、検診・受診率アップに700万、RFL運営費に1100万が使われています。

日が暮れると、会場にはそれぞれの思いを書き込んだルミナリエの灯りが灯り、落ちついた時間帯となります。

リレーフォーライフのハイライトとも言える、エンプティテーブルという催しでは、誰も座っていない一組のテーブルとイスが並べられ、白いテーブルクロスとその上に置かれた赤いバラ、一切れのレモンと一つまみの塩の意味を説明をする詩が読み上げられ、誰も座っていない椅子に、それぞれの参加者がこの世を去った身近な人の姿をイメージするわけですが、今回は、わざわざ教室で使う机と椅子を用意し、それに寄りかかるように鈴君の使っていた剣道の用具を立てかけ、(鈴君は剣道部の部長でした)剣道部の後輩が鈴君への思いを語る中、会場の多くの人が、一人の亡くなった高校生に対し、一体となって追悼の思いを現わしました。このようなスタイルは、これまでのリレーフォーライフの中でも始めてのことであり、鈴君への追悼と悲しみの中にも、鈴君のやりたかったリレーフォーライフをこういう形で引き継げたという感激が渦のように会場を取り巻いて静かな熱気を与えていたようにように思います。

やがて大阪城が紫色にライトアップされました。
会場のグランドからは、建物の影になり直接見ることはできないのですが、インターネットの配信により、会場に設けられたスクリーンにも、紫色の天守閣が浮かび上がりました。
これは、西の丸庭園の北寄りから写した天守閣のライトアップです。

ステージでは、鈴君が好きだったと言う歌の熱唱が続いています。

深夜2時ごろになると、ローソクの日が燃え尽きて、順次ルミナリエが消え始めます。ローソクを取り変え、新たに火を灯す作業が4時頃まで続きました。
日が変わって、また歩きはじめる人も増えてきました。主治医だった原先生(市立総合医療センター)のステージ上でのお話もありましたが、そのあと鈴君のご両親と主治医の心温まる会話の場面を目にし、主治医との信頼関係も十分にあったことが伺い知れました。

会場で作成された、鈴君の似顔とそれを取り巻くコラージュ作品がステージで披露されました。鈴パパが鈴君の写真を胸の前に掲げながら、この作品に対し、お礼と感想を述べられているところです。

この会場では、鈴之介君の思いを継ごうとする高校生達の若々しい姿が目立ち、これまで私が体験したリレーフォーライフとはちょっと違った、すばらしいイベントとなりました。
これは実行委員長(増田悦子さん)のフィナーレでの挨拶の締めくくりに、みんなで「リレー・フォー・ライフ」と叫びながら、腕を突きあげているところ。

私自身は、去年のリレーフォーライフ貝塚に参加した折に、病を押してステージに立ってくれた鈴君の姿を目に留めていたわけですが、9月に行ったRFL芦屋で、たまたまRFL大手前のTシャツを着ておられるご夫婦をお見かけし、声を掛けさせていただいた所、それが鈴君のご両親だったことが後ほど判明、このたびは、深夜、雑用のお手伝いをしながら、RFL大手前の実行委員でもある鈴君のご両親とも、ゆっくりお話しをする時間も持てて、素敵なご両親に育てられ、学友からの信頼の厚かった鈴君への思いをさらに深めることができました。
皆さんも、もし、お近くにこのようなリレーフォーライフが開催されておりましたら、思いきって参加されてみてはいかがでしょうか。
あれこれ、細かい内容を説明するよりは、会場の雰囲気を直接体で味わったほうが早いと思います。
それぞれの会場で、かなり雰囲気は異なりますが、募金の多寡や政治的な絡みにはできるだけ関わらず、リレーフォーライフをやりたいというストレートな思いが形となって反映されること、それが一番大切な事だし、一番の魅力ではないでしょうか。

2013年8月11日日曜日

クマゼミ

子供時分は良く蝉取りをしたものですが、当時多かったのはアブラゼミ(あぶら)とニーニーゼミ(ちーこ)。クマゼミ(かたびら)は手の届かない高い枝先に居ることが多くて、なかなか捕まらず、我々にはちょっとした貴重品でした。
それが、ここ20年ほどの間に随分様変わりをしてしまい、今じゃこのあたりでは、クマゼミが完全に主導権を握っています。朝の6時ぐらいから数時間の鳴き声の、なんとうるさいこと(^^)>。
ケヤキは樹脂や密も少ないので、あまり昆虫類の寄りつきやすい木ではないと思うのですが、それでも、8月の中頃になると、一か所で動かないまま、20匹ぐらい数えることができる日も珍しくありません。
窓越しにズームでクマゼミを狙ってみました。



庭でも良くその抜け殻が見つかります。もちろん多いのは木の枝ですが、お手軽にツワブキの葉っぱに掴まり、孵化する要領の良いヤツも居るようです。


2013年7月30日火曜日

中山寺の蓮

中山寺の蓮が見頃を迎えています。
朝の散歩がてらに、デジカメでの撮影を楽しんできました。






実はこれらの蓮はすべて鉢植えのものでして、毎年、この季節になると境内数か所に沢山の大きな蓮の鉢が並びます。本堂の西側の全景はこんな感じですね。


2013年7月24日水曜日

同級生

子供の頃は伊丹市に住んでいたのですが、ひょうんなことで、当時の小学校時代の同級生と、久しびりに顔を合わすこととなりました。
うち二人は、一度同窓会で顔を合わせてはいたんですが、その時から数えてもすでに25年ぶり。
もう一人は、高校も同級でしたが、こちらは卒業以来なので、実に46年ぶりぐらいでしょうか。
それでも、お、こんなんだったっけ、と思うのは一瞬だけで、すぐに昔のイメージが戻ってきます。

落ち合ったのは「伊丹市立博物館」・・・ここには、昔の伊丹市の地図や写真が展示されており、当時はああだこうだと話がはずみました。

猪名野神社に移動。ここでは良くソフトボールなどをして遊びました。夏には松の木の間にスクリーンを張って、映写会などもありましたね。亀の池も健在で、石の柵の間に突っ込んだアタマが抜けなくなって泣いたこともありました(^^;

この後の食事会では「猪名野神社の秋祭りには、もう少し同級生を誘ってもういちど集まろう」と言う話も出ていましたが、さて、どうなるか。

2013年7月14日日曜日

Dipex-Japan「認知症の語り」

「認知症の語り」の記念シンポジウムに参加させていただきました。
Dipex-Japanの「健康と病の語り」というサイトには、現在、「乳がん」と「前立腺がん」の語りがアップされているわけですが、このたび新たに「認知症」の語りがアップされることとなり、それを記念しての講演会でした。

認知症に関しては、さほどの予備知識があったわけではないのですがアタシって認知症?と思うようなこともたまにあり、これは人ごとではないという気が、背中をおしてくれたのでしょう。

セミナーは東大の構内で、午後からでしたが、少し時間があったので、近くの上野公園に寄って時間をつぶすことに。写真は不忍池の蓮。

言わずと知れた東大の赤門ですね。でも潜ったのはこれとは別の門(笑)

セミナーの方は、こじんまりした落ちついたホールで、約150~160名が参加しておられました。
「認知症の語り」のサイトは、今回アップされたのは、まだほんの一部で、年内を目標に充実を図っていくとのこと。


セミナーの終わる頃には、近年流行りの都市型豪雨に見舞われました。

慰労会にご一緒している間に雨が止んでくれて、ホッと一息。
「認知症」の具体的事例はまた改めてゆっくりサイトを見せていただこうと思いますが、問題の捉え方としては、社会全体で「認知症」と向き合って行こうということですね。
認知症になっても、安らかに暮らせる社会というのが、今後目指すべき方向性だと思いました。
徘徊という言葉も、認知症の患者からすれば、それなりの理由や目的があってやっているのであり、痴呆とかボケとか言われていたものが、認知症という病名に変わったように、近い将来、「徘徊」という言葉も、もっと適切なものに変える必要があるという意見も出ていました。