当初の予定では、大垣から樽見鉄道で谷汲口へ出て華厳寺まで歩き、さらに東海自然歩道に沿って山を越え横蔵寺に降りる予定でしたが、まだ頼りない足を庇って「軟弱コース」に変更。
養老線で揖斐駅に出てバスで直接、西国33番結願札所谷汲山華厳寺へ。
数ヵ月前から西国33個所観音巡礼には「王手」を掛けていたのですが、華厳寺が少し離れていることもあって、お参りが延び延びになっていました。
バスを降りると約1キロほど広い並木参道を歩きます。
参道の両側には、仏具屋、表具屋、菊石(アンモナイトが埋め込まれた石)屋、骨董屋、瀬戸物屋、飲食店、旅館などが並んでいて、一部雑然とした雰囲気もあるものの、全体的にはけっこう落ち着いた街並みでした。
これが山門、なかなか立派ですね。一礼してくぐります。
山門から奥もまだ石畳の参道がしばらく続き、幅の広い階段まで来ると両側には幟旗が立ち、奥に本堂が見えてきました。
本堂に到着です。
本堂の柱には「精進落としの鯉」があり、これに触れて「結願」の報告をするというので、私もちらりと触っておきました。
ご朱印は一寺一印が普通ですが、結願寺のここはご詠歌が過去、現在、未来と3種あり、それに合せて、ご朱印も3つ・・・当然料金も3倍(^^;
「今までは親と頼みし笈摺(おいずる)を 脱ぎて納むる美濃の谷汲」(ご詠歌の一つ)
四国巡礼では、私も金剛杖、笈摺、遍路傘のいわゆるお遍路スタイルになりますが、西国33カ所はもっと気楽に普通の身なりで廻ってきました。
でも、西国33カ所でも本格的なお遍路スタイルで廻る方も少なからずおられます。
本堂裏の笈摺堂には、そうした方達の杖、笈摺、納経帳、傘などが、千羽鶴に囲まれて納められていました。
この写真はその一部です。
足はかなり回復しつつあったものの、奥の院(かなり山の上です)は断念し、
上人のミイラで有名な横蔵寺へはバスで移動することに。
少し余談ですが、揖斐川町のコミュニティバスは驚くほど値段が安い。
揖斐町、北方村、大和村、清水村、小島村の1町4村が合併したのが現在の揖斐川町ですが、旧の町村内の移動なら100円、町村境を跨ぐと100円が追加となるしくみで、横蔵までは100円。横蔵からの帰り道、揖斐駅まで40分ほどバスに揺られてもたったの200円でした。
横蔵バス停からすぐの赤い橋を渡ると正面は石垣。左に折れて坂を登ると、
左右の石垣の間に仁王門が現れる。
仁王さんはお留守だが(宝物殿に安置されています)大きなわら草履が両側に掛っていた。
仁王門をくぐると、まず目に入るのが三重の塔。
本堂も歴史のある雰囲気だが、脇道から登ってきた車が正面に止まっていたのは残念。
本堂の左へ廻り込むと、これが舎利殿。この中にうわさのミイラが・・・(宝物殿はこの右隣)
ガラス扉の厨子?に安置された妙心上人のミイラは、胡坐をかいて、しっかり手を組み、半分歯の抜けた口を半ばあけたまま首をかしげておられました。37歳で観音様のお傍に召されることを自ら選んで木喰の行に入られたとか。
痩せているせいもあるのでしょうが、かなり小柄な人で、サイズ的には高学年の小学生かせいぜい中学生ぐらいにしか見えません。
写真を取ることができないので、ネットで見つけたものをご披露しておきます。
大垣へ出てJR東海道線で帰りましたが、14日の大雨の影響で、米原からの新快速は全面運休。乗った普通は始発ゆえに座ることはできましたが、お盆と重なり凄い混みよう。こうなると車内の冷房はまったく効き目がありません。今回の旅行で、一番汗を掻いたのはこの車内でした。
足は幸い良くなってきて、16日現在ではほぼ不通に歩けています。(^^)v