2012年8月23日木曜日
「がんサポート」9月号
泌尿器がん最新特集では前立腺がん、腎がん、膀胱がんが取り上げられており、
前立腺がんの特集は次の3題。(タイトルは適当に簡略化しています)
1)知っていますか?検査と診断 中村昌史(静岡がんセンター)
2)ホルモン療法が効かなくなった前立腺がん 中井康友(阪大)
3)骨転移の早期発見・早期治療 上村博司(横浜市大)
(3)は参考になるが、(1)はハッキリ言って、患者にはあまり役に立たないかも。
(2)はその中間ですが、「あれれ、ちょっとおかしいんじゃないの」と思うところが数か所。
「再発判定」や「新薬」に関する部分ですが、その詳細はとりあえず省きます。
始めて知って驚いたのは稲川淳二さんが前立腺がんだったこと。
記事によれば初期の限局がんのようですが、マスコミ関係者に教えてもらい、今年2月にロボット手術を受けたそうです。
「助かった命ではなく、もらった命だと思っている」
なぜか知り合いの多い「号」でもありました。
リレーフォーライフの座談会でアグネスと対談しているのが坂下千端子さん。
同じくリレーフォーライフ関係の記事で、三浦秀明さんと郷州葉子さん。
「キレイ塾」を連載している山崎多賀子さん。
「がんと生きる」の特集は、子宮頚がんの啓発活動をしている阿南里恵さん。
「がんになった著名人」では騎手の故吉永正人さん(スキルス性胃がん)が取り上げられていました。本人の現役時代を知っているし、吉永みち子さんの「気がつけば騎手の女房」も読んだことがあるので、これも興味深く読ませてもらいました。
冒頭の対談は、私がコンサートに足を運んだことのある数少ない歌手、加藤登紀子さん。
ダンナ藤本敏夫さんが亡くなった(10年前)のは知っていましたが、肝臓がんだったんですね。
私自身ががんを患う前だったから、病名も頭を素通りしてしまったのでしょう。
年にせいぜい1~2冊しか買わない雑誌ですが、このたびは気になる記事がたくさんあって、ちょっとお買い得気分を味わうことができました。
2012年8月22日水曜日
鴨川
お昼前後は京都の病院に行っておりました。
3ヵ月毎の検診ですが、今日は検査だけで、結果が判るのは次週となります。
雲の形はやや秋の雰囲気を帯びて来たように思いますが、日が照っていると真夏とまったく変わりません。
帰り道は、地下に逃げ込んで京阪に乗ろうかと思いましたが、最近はどうも運動不足なのが気になって、汗を掻きながらとなりますが、鴨川の岸辺を丸太町から四条まで歩くことにしました。
何度も歩いたことのある道ですが、季節、時間、天気によって雰囲気は随分変わります。
シラサギとカモ、これだけだと鴨川ではちっとも珍しくはないのですが、亀がいっしょなのが面白くてカメラを向けてみました。
鴨川の料亭には、まだ納涼床が出ている季節です。
真昼間ですから、若干ムードには欠けますが、ちょうど以前絵に書いたことのあるアングルに差し掛かったので、比較のために撮って見ました。
3ヵ月毎の検診ですが、今日は検査だけで、結果が判るのは次週となります。
雲の形はやや秋の雰囲気を帯びて来たように思いますが、日が照っていると真夏とまったく変わりません。
帰り道は、地下に逃げ込んで京阪に乗ろうかと思いましたが、最近はどうも運動不足なのが気になって、汗を掻きながらとなりますが、鴨川の岸辺を丸太町から四条まで歩くことにしました。
何度も歩いたことのある道ですが、季節、時間、天気によって雰囲気は随分変わります。
シラサギとカモ、これだけだと鴨川ではちっとも珍しくはないのですが、亀がいっしょなのが面白くてカメラを向けてみました。
鴨川の料亭には、まだ納涼床が出ている季節です。
真昼間ですから、若干ムードには欠けますが、ちょうど以前絵に書いたことのあるアングルに差し掛かったので、比較のために撮って見ました。
以前描いた絵(水彩)はこれですね。季節は冬に近かったし、なんとなく、まだ不安な精神状態が表れているような気がしないでもありません。
阪急河原町から電車に乗りましたが、汗が引くまでにしばらく時間がかかりました。
2012年8月21日火曜日
プール
プールと言っても私が泳いだ話じゃなく、孫(あと10日ほどで3歳)をプールに連れてった話ですね。
私も、もう7~8年泳いだことはないけれど、いざという時はまだなんとかなるでしょう。
たぶん溺れはしないはず(^^)>
孫と行くはじめてのプール・・・パパはお仕事だし、ママは下の子がまだ小さいので(3ヵ月)どうしようか迷っていましたが、結局一緒に行って、日陰で見物することに。
以前、浦島温泉の洞窟風呂に連れて行った時は、平気で湯に潜ってので、たぶん大丈夫だろうと思っていたけど、初プールだったので、始めはやはりちょっと心配でした。
水着はお家を出る時にママに着せてもらっていました。
オニューの浮輪を膨らませようとしたら、どうなっているのか、いくら吹いても膨らまず、頭の血管が切れそうに思えてきた時・・・「空気入れ」があることを教えてもらいホッとしました^^
幼児プールの水深は、私の膝下、孫の腰ぐらい。
私はTシャツに短パン姿で、始めこそ手をつないで、一緒にプールに入ったものの、しばらくすればすぐに浮き輪を使って上手に底を蹴りながら、一人で前に進んでいます。
浮き輪なしでも溺れることなくそれなりに遊んでいるので、さほど付きっきりにならずとも、少し離れて見ているだけでも大丈夫でした。
お気に入りは滑り台、初回は頭もろとも水中に突っ込み、私もあわてて「大丈夫?」と掬いあげましたが、平気でしたね。プールサイドへ上がる時も一人でよじ登ります。10数回連続で、後ろに並んでは、階段を昇り、滑ってはまた後ろに並ぶを繰り返していました。
隣の変形プールには大きなウォータースライダ―があり、これに行きたがり駄々をこねましたが、今回はこれは見送り。水深も少し深いし、年齢制限もあるはずだけど、私が一緒にすべれば大丈夫かな?
次回は私も泳げる恰好をして、変形プールに連れて行っても良いかも・・・
私も、もう7~8年泳いだことはないけれど、いざという時はまだなんとかなるでしょう。
たぶん溺れはしないはず(^^)>
孫と行くはじめてのプール・・・パパはお仕事だし、ママは下の子がまだ小さいので(3ヵ月)どうしようか迷っていましたが、結局一緒に行って、日陰で見物することに。
以前、浦島温泉の洞窟風呂に連れて行った時は、平気で湯に潜ってので、たぶん大丈夫だろうと思っていたけど、初プールだったので、始めはやはりちょっと心配でした。
水着はお家を出る時にママに着せてもらっていました。
オニューの浮輪を膨らませようとしたら、どうなっているのか、いくら吹いても膨らまず、頭の血管が切れそうに思えてきた時・・・「空気入れ」があることを教えてもらいホッとしました^^
幼児プールの水深は、私の膝下、孫の腰ぐらい。
私はTシャツに短パン姿で、始めこそ手をつないで、一緒にプールに入ったものの、しばらくすればすぐに浮き輪を使って上手に底を蹴りながら、一人で前に進んでいます。
浮き輪なしでも溺れることなくそれなりに遊んでいるので、さほど付きっきりにならずとも、少し離れて見ているだけでも大丈夫でした。
お気に入りは滑り台、初回は頭もろとも水中に突っ込み、私もあわてて「大丈夫?」と掬いあげましたが、平気でしたね。プールサイドへ上がる時も一人でよじ登ります。10数回連続で、後ろに並んでは、階段を昇り、滑ってはまた後ろに並ぶを繰り返していました。
隣の変形プールには大きなウォータースライダ―があり、これに行きたがり駄々をこねましたが、今回はこれは見送り。水深も少し深いし、年齢制限もあるはずだけど、私が一緒にすべれば大丈夫かな?
次回は私も泳げる恰好をして、変形プールに連れて行っても良いかも・・・
2012年8月15日水曜日
華厳寺から横蔵寺へ
当初の予定では、大垣から樽見鉄道で谷汲口へ出て華厳寺まで歩き、さらに東海自然歩道に沿って山を越え横蔵寺に降りる予定でしたが、まだ頼りない足を庇って「軟弱コース」に変更。
養老線で揖斐駅に出てバスで直接、西国33番結願札所谷汲山華厳寺へ。
数ヵ月前から西国33個所観音巡礼には「王手」を掛けていたのですが、華厳寺が少し離れていることもあって、お参りが延び延びになっていました。
バスを降りると約1キロほど広い並木参道を歩きます。
参道の両側には、仏具屋、表具屋、菊石(アンモナイトが埋め込まれた石)屋、骨董屋、瀬戸物屋、飲食店、旅館などが並んでいて、一部雑然とした雰囲気もあるものの、全体的にはけっこう落ち着いた街並みでした。
これが山門、なかなか立派ですね。一礼してくぐります。
山門から奥もまだ石畳の参道がしばらく続き、幅の広い階段まで来ると両側には幟旗が立ち、奥に本堂が見えてきました。
本堂に到着です。
本堂の柱には「精進落としの鯉」があり、これに触れて「結願」の報告をするというので、私もちらりと触っておきました。
ご朱印は一寺一印が普通ですが、結願寺のここはご詠歌が過去、現在、未来と3種あり、それに合せて、ご朱印も3つ・・・当然料金も3倍(^^;
「今までは親と頼みし笈摺(おいずる)を 脱ぎて納むる美濃の谷汲」(ご詠歌の一つ)
四国巡礼では、私も金剛杖、笈摺、遍路傘のいわゆるお遍路スタイルになりますが、西国33カ所はもっと気楽に普通の身なりで廻ってきました。
でも、西国33カ所でも本格的なお遍路スタイルで廻る方も少なからずおられます。
本堂裏の笈摺堂には、そうした方達の杖、笈摺、納経帳、傘などが、千羽鶴に囲まれて納められていました。
この写真はその一部です。
足はかなり回復しつつあったものの、奥の院(かなり山の上です)は断念し、
上人のミイラで有名な横蔵寺へはバスで移動することに。
少し余談ですが、揖斐川町のコミュニティバスは驚くほど値段が安い。
揖斐町、北方村、大和村、清水村、小島村の1町4村が合併したのが現在の揖斐川町ですが、旧の町村内の移動なら100円、町村境を跨ぐと100円が追加となるしくみで、横蔵までは100円。横蔵からの帰り道、揖斐駅まで40分ほどバスに揺られてもたったの200円でした。
横蔵バス停からすぐの赤い橋を渡ると正面は石垣。左に折れて坂を登ると、
左右の石垣の間に仁王門が現れる。
仁王さんはお留守だが(宝物殿に安置されています)大きなわら草履が両側に掛っていた。
仁王門をくぐると、まず目に入るのが三重の塔。
本堂も歴史のある雰囲気だが、脇道から登ってきた車が正面に止まっていたのは残念。
本堂の左へ廻り込むと、これが舎利殿。この中にうわさのミイラが・・・(宝物殿はこの右隣)
ガラス扉の厨子?に安置された妙心上人のミイラは、胡坐をかいて、しっかり手を組み、半分歯の抜けた口を半ばあけたまま首をかしげておられました。37歳で観音様のお傍に召されることを自ら選んで木喰の行に入られたとか。
痩せているせいもあるのでしょうが、かなり小柄な人で、サイズ的には高学年の小学生かせいぜい中学生ぐらいにしか見えません。
写真を取ることができないので、ネットで見つけたものをご披露しておきます。
大垣へ出てJR東海道線で帰りましたが、14日の大雨の影響で、米原からの新快速は全面運休。乗った普通は始発ゆえに座ることはできましたが、お盆と重なり凄い混みよう。こうなると車内の冷房はまったく効き目がありません。今回の旅行で、一番汗を掻いたのはこの車内でした。
足は幸い良くなってきて、16日現在ではほぼ不通に歩けています。(^^)v
養老線で揖斐駅に出てバスで直接、西国33番結願札所谷汲山華厳寺へ。
数ヵ月前から西国33個所観音巡礼には「王手」を掛けていたのですが、華厳寺が少し離れていることもあって、お参りが延び延びになっていました。
バスを降りると約1キロほど広い並木参道を歩きます。
参道の両側には、仏具屋、表具屋、菊石(アンモナイトが埋め込まれた石)屋、骨董屋、瀬戸物屋、飲食店、旅館などが並んでいて、一部雑然とした雰囲気もあるものの、全体的にはけっこう落ち着いた街並みでした。
これが山門、なかなか立派ですね。一礼してくぐります。
山門から奥もまだ石畳の参道がしばらく続き、幅の広い階段まで来ると両側には幟旗が立ち、奥に本堂が見えてきました。
本堂に到着です。
本堂の柱には「精進落としの鯉」があり、これに触れて「結願」の報告をするというので、私もちらりと触っておきました。
ご朱印は一寺一印が普通ですが、結願寺のここはご詠歌が過去、現在、未来と3種あり、それに合せて、ご朱印も3つ・・・当然料金も3倍(^^;
「今までは親と頼みし笈摺(おいずる)を 脱ぎて納むる美濃の谷汲」(ご詠歌の一つ)
四国巡礼では、私も金剛杖、笈摺、遍路傘のいわゆるお遍路スタイルになりますが、西国33カ所はもっと気楽に普通の身なりで廻ってきました。
でも、西国33カ所でも本格的なお遍路スタイルで廻る方も少なからずおられます。
本堂裏の笈摺堂には、そうした方達の杖、笈摺、納経帳、傘などが、千羽鶴に囲まれて納められていました。
この写真はその一部です。
足はかなり回復しつつあったものの、奥の院(かなり山の上です)は断念し、
上人のミイラで有名な横蔵寺へはバスで移動することに。
少し余談ですが、揖斐川町のコミュニティバスは驚くほど値段が安い。
揖斐町、北方村、大和村、清水村、小島村の1町4村が合併したのが現在の揖斐川町ですが、旧の町村内の移動なら100円、町村境を跨ぐと100円が追加となるしくみで、横蔵までは100円。横蔵からの帰り道、揖斐駅まで40分ほどバスに揺られてもたったの200円でした。
横蔵バス停からすぐの赤い橋を渡ると正面は石垣。左に折れて坂を登ると、
左右の石垣の間に仁王門が現れる。
仁王さんはお留守だが(宝物殿に安置されています)大きなわら草履が両側に掛っていた。
仁王門をくぐると、まず目に入るのが三重の塔。
本堂も歴史のある雰囲気だが、脇道から登ってきた車が正面に止まっていたのは残念。
本堂の左へ廻り込むと、これが舎利殿。この中にうわさのミイラが・・・(宝物殿はこの右隣)
ガラス扉の厨子?に安置された妙心上人のミイラは、胡坐をかいて、しっかり手を組み、半分歯の抜けた口を半ばあけたまま首をかしげておられました。37歳で観音様のお傍に召されることを自ら選んで木喰の行に入られたとか。
痩せているせいもあるのでしょうが、かなり小柄な人で、サイズ的には高学年の小学生かせいぜい中学生ぐらいにしか見えません。
写真を取ることができないので、ネットで見つけたものをご披露しておきます。
大垣へ出てJR東海道線で帰りましたが、14日の大雨の影響で、米原からの新快速は全面運休。乗った普通は始発ゆえに座ることはできましたが、お盆と重なり凄い混みよう。こうなると車内の冷房はまったく効き目がありません。今回の旅行で、一番汗を掻いたのはこの車内でした。
足は幸い良くなってきて、16日現在ではほぼ不通に歩けています。(^^)v
2012年8月14日火曜日
郡上八幡
情けないことに、お盆に痛風が出ました。
ただ、幸いこのたびの痛風は比較的軽症だったもので、うずいたのは2日ほど。
3日目から痛みがましにはなって来たけれど、まだ杖が無いと心もとないという状況で、このたびの旅行を中止するかどうか直前まで迷いましたが、嫁さんの押しに寄り切られ(^^;、郡上八幡とその翌日に谷汲山華厳寺周辺を廻ってきました。
宇治から高槻あたりにかけて大雨の降った14日の早朝に、左手で杖を突き右手で傘を差しながら家を出て、新幹線、JR在来線共京都~大阪間は不通、乗った高速バスも京都までは高速が使えず、地道の渋滞もあって約2時間遅れでやっと郡上八幡インターへ到着。
わずか1キロ半の道のりが辛いので、タクシーを呼んで、まずは川へのダイビングポイントとして有名な新橋へ。
欄干から上半身を乗り出して下を見ると、怖い怖い(^^;
「この橋からの飛び込みで重大な事故が発生しています。不慣れな方の飛び込みは自粛するよう警告します」という看板がありました。「禁止」じゃなくて「自粛」というのが郡上八幡らしいところ。
柳町を北へ向かいます。
足が元気なら、司馬遼太郎も美しいと褒めた郡上八幡城へ寄りたいところですが、これはパス。
ここでは水が飲めます。ほっと一息。
水路には鯉も泳いでいました。
職人町から本町へ。肉桂(ニッキ)の老舗飴屋の角の露地を入ると、名水百選の一つ「宗祇水」があります。
お盆の間は、郡上おどりもクライマックスを迎え、夜7時から翌朝6時までオールナイトで踊るとか。
昼間は残念ながら踊りは見られないのですが、浴衣を着た観光客は沢山みかけました。
こんな水桶が所々に。ここでは子供が遊んでました。
トマトとキューリが冷えてます。
清流の城下町、郡上八幡のもう一つの顔は、食品サンプルの発祥地で、全国の食品サンプルのほとんどはこの地で作っているとか。
うまそうな鮎の串焼きですがこの写真はもちろん?炭火を含めて全てサンプルです。
ただ、本物の鮎を店先で焼いている所もたくさんあります。
郡上鮎というのは、姿と美味で食通を魅了する日本一のブランドアユで、皇室にも献上されていたとか。
現地では雨がほとんど降らず、傘を差さずに済んだのは幸いでした。
足が大丈夫そうなので、帰りはゆっくりですが、JR郡上八幡駅まで歩きました。
木造でノスタルジーをそそられる駅です。
大垣まで戻って、ホテル泊。
ただ、幸いこのたびの痛風は比較的軽症だったもので、うずいたのは2日ほど。
3日目から痛みがましにはなって来たけれど、まだ杖が無いと心もとないという状況で、このたびの旅行を中止するかどうか直前まで迷いましたが、嫁さんの押しに寄り切られ(^^;、郡上八幡とその翌日に谷汲山華厳寺周辺を廻ってきました。
宇治から高槻あたりにかけて大雨の降った14日の早朝に、左手で杖を突き右手で傘を差しながら家を出て、新幹線、JR在来線共京都~大阪間は不通、乗った高速バスも京都までは高速が使えず、地道の渋滞もあって約2時間遅れでやっと郡上八幡インターへ到着。
わずか1キロ半の道のりが辛いので、タクシーを呼んで、まずは川へのダイビングポイントとして有名な新橋へ。
欄干から上半身を乗り出して下を見ると、怖い怖い(^^;
「この橋からの飛び込みで重大な事故が発生しています。不慣れな方の飛び込みは自粛するよう警告します」という看板がありました。「禁止」じゃなくて「自粛」というのが郡上八幡らしいところ。
柳町を北へ向かいます。
足が元気なら、司馬遼太郎も美しいと褒めた郡上八幡城へ寄りたいところですが、これはパス。
ここでは水が飲めます。ほっと一息。
水路には鯉も泳いでいました。
職人町から本町へ。肉桂(ニッキ)の老舗飴屋の角の露地を入ると、名水百選の一つ「宗祇水」があります。
お盆の間は、郡上おどりもクライマックスを迎え、夜7時から翌朝6時までオールナイトで踊るとか。
昼間は残念ながら踊りは見られないのですが、浴衣を着た観光客は沢山みかけました。
こんな水桶が所々に。ここでは子供が遊んでました。
トマトとキューリが冷えてます。
清流の城下町、郡上八幡のもう一つの顔は、食品サンプルの発祥地で、全国の食品サンプルのほとんどはこの地で作っているとか。
うまそうな鮎の串焼きですがこの写真はもちろん?炭火を含めて全てサンプルです。
ただ、本物の鮎を店先で焼いている所もたくさんあります。
郡上鮎というのは、姿と美味で食通を魅了する日本一のブランドアユで、皇室にも献上されていたとか。
現地では雨がほとんど降らず、傘を差さずに済んだのは幸いでした。
足が大丈夫そうなので、帰りはゆっくりですが、JR郡上八幡駅まで歩きました。
木造でノスタルジーをそそられる駅です。
大垣まで戻って、ホテル泊。
2012年7月16日月曜日
お宮参り
二人目の出産前から、ママに連れられて里帰りしていた孫(もうじき3歳)ですが、
一昨日、生後2カ月の新しい妹と一緒に、ほぼ3月ぶりにこちらに戻って来ました。
久しぶりに顔を合せるので、よろこんで飛びついてくるような場面を想像していたのですが、孫のほうが意外に冷静・・・ちょっと拍子抜けでしたね(^^)>
下の孫は写真で見ていただけなので、実物を拝むのはこれが初めて。
美人系とは言い難いが、性格はのんびり屋さんのようで、よく寝てあまり泣かないとか。
体重は6kgもあるそうで、上の孫の時より体格はだいぶ立派。大きなお腹です。^^
そして、今日は少し遅いお宮参り。
お宮参りと言っても神社じゃなくて、近所の中山寺ですから正式には「初参り」と言うそうです。
上の孫の時は、それらしい衣装で一応形を整えていたのですが、二人目はうんと略式となりました。
これは屋台で買ってもらった水笛を吹きながら帰るところ。
一昨日、生後2カ月の新しい妹と一緒に、ほぼ3月ぶりにこちらに戻って来ました。
久しぶりに顔を合せるので、よろこんで飛びついてくるような場面を想像していたのですが、孫のほうが意外に冷静・・・ちょっと拍子抜けでしたね(^^)>
下の孫は写真で見ていただけなので、実物を拝むのはこれが初めて。
美人系とは言い難いが、性格はのんびり屋さんのようで、よく寝てあまり泣かないとか。
体重は6kgもあるそうで、上の孫の時より体格はだいぶ立派。大きなお腹です。^^
そして、今日は少し遅いお宮参り。
お宮参りと言っても神社じゃなくて、近所の中山寺ですから正式には「初参り」と言うそうです。
上の孫の時は、それらしい衣装で一応形を整えていたのですが、二人目はうんと略式となりました。
これは屋台で買ってもらった水笛を吹きながら帰るところ。
2012年7月9日月曜日
伴走講習会
大阪(ドーンセンター)で伴走の講習会がありました。
講習に参加したのは視覚障害者と晴眼者合せて約100名。
講師は元オリンピック(メキシコ、ミュンヘン、モントリオール)代表選手の宇佐美彰朗さん(左側)と伴走の普及活動に尽力すること30年の超ウルトラランナー鈴木邦雄(右側)さん。
写真は講習(座学)を終えて一息ついたところです。
このあと、近くの大阪城公園に移動して実技講習を受けました。
私も伴走をやって15~6年になりますが、ほとんど自己流でやっているので、講習を受けてなるほどと思う点も多々あり、良い反省になりました。
夕刻からは同じ大阪城公園で「七夕駅伝」が開催され、伴走講習会に引き続いて、それに出場する知人も大勢いました。この美女(ナース服)もその一人。
よほど顔を接近しないと誰だか判別が付きません(苦笑)
私の目的は「七夕駅伝」の応援ではなく、ここに集まった人達に、「リレーフォーライフ芦屋」(9/8~9開催)のチラシを配ることでした。
講習に参加したのは視覚障害者と晴眼者合せて約100名。
講師は元オリンピック(メキシコ、ミュンヘン、モントリオール)代表選手の宇佐美彰朗さん(左側)と伴走の普及活動に尽力すること30年の超ウルトラランナー鈴木邦雄(右側)さん。
写真は講習(座学)を終えて一息ついたところです。
このあと、近くの大阪城公園に移動して実技講習を受けました。
私も伴走をやって15~6年になりますが、ほとんど自己流でやっているので、講習を受けてなるほどと思う点も多々あり、良い反省になりました。
夕刻からは同じ大阪城公園で「七夕駅伝」が開催され、伴走講習会に引き続いて、それに出場する知人も大勢いました。この美女(ナース服)もその一人。
よほど顔を接近しないと誰だか判別が付きません(苦笑)
私の目的は「七夕駅伝」の応援ではなく、ここに集まった人達に、「リレーフォーライフ芦屋」(9/8~9開催)のチラシを配ることでした。
2012年6月26日火曜日
緩和医療学会に参加して
6月22日(金)、23日(土)の両日、緩和医療学会に参加してきました。
緩和ケアというと、どうしても末期的な医療というイメージを引き摺っているのですが、
今年度のがん対策基本計画の見直しでは、
「緩和ケアは、がんと診断された時から、がん治療と並行して行われるべきもの」
という見解が厚労省より示されました。
がん患者が最初に受ける緩和ケアが「告知によって精神的に動揺を来たした場合」となりますように。
「緩和ケア」って何? ということが緩和医療学会でも取り上げられていました。
疼痛緩和など、医者が行う医療行為というのは理解しやすいのですが、
緩和ケアには、医療者の物差しでは測れない問題も沢山あって、
対処に戸惑っておられる様子も垣間見えてきました。
患者の物差しに寄り添うと言っても、相手は人間ですから千差万別。
それを看護の実践にどう結び付けるかとなると、これはなかなか難しいし、
まじめにやればやるほど、カバーしなければならない範囲もどんどん広がっていく。
看護師さんは医者以上に大変かも知れません。
医者の物差し 患者の物差し
・Cure ・Care
・How long live ・How live
・Biological life ・Narative life
(生物学的生命) (生き様、人生観、価値観)
人は誰でも死ぬけれど、どう死ぬべきかはなかなか答えが見つかりません。
私は母を亡くした時に悔しい思いをしたことがあります。
ナースステーションからガラス越しに様子を見ていた医者が、心電図が止まると
「ご臨終です」と言いながら、部屋に入って来て、酸素マスクに手を掛けました。
その途端にまたモニターが動いたんですね。
医者はしぶい顔をしながら引き返し、次にモニターが止まった時には、
さっさと部屋に入ってきて、急いで酸素マスクや体に付いている管を外し始めました。
我々に声をかけるでもなく、母に手を合わせるでもなく・・・完全に物体扱い。
私たちはあっけにとられて涙をこぼす暇さえありませんでした。
「臨終の時に心電図モニターは必要か」という発表がありました。
看護師にアンケートで解答をもらった結果、必要ないという答えが多かったそうで、
理由としては、最後の時を大切に、静かに(モニター音が気になる時も)過ごして欲しいから。
ああ、ステキな看護師さんが多いんだなとちょっと嬉しくなりました。
亡くなる時は判りますよね。大昔から人間は営々と人を見送ってきたのですから。
エンゼルケアと言えば死化粧(死後処置)ですが、これも家族に立ち会いを求めるかどうか。
現状は様々なようですが、立ち会ってもらうというのが徐々に増えつつあるようです。
デス・カンファランスという言葉を初めて知りました。
患者・家族の満足度や終末期の病状コントロール、看護目標の達成度などを
振り返って、終末期ケアの質の向上を諮るためのカンファランスですが、
亡くなった患者を担当した看護師のストレスマネージメント(グリーフケア)にもなると言う。
遺族となった時は、吾身ばかりを悲嘆しがちですが、心をこめて看護してくれた
ナースなら、やはり喪失の悲しみを抱えているということを忘れてはなりません。
「デス・カンファランス」に家族が立ち会うことはないはずですが、この用語には、
ちょっと辛い響きがありますね。
死後処置をエンゼルケアと呼ぶならば、例えばこれを「エンディング・カンファランス」とか
もう少し優しい名前に変えてほしいものです。
市民公開講座の主題は、「胃ろう」の問題。
胃ろうとは、口から食べる代わりに胃に穴をあけて栄養(薬剤)補給をするものです。
講演が3題ありましたが、私が一番興味を惹かれたのは、徳永 進先生。
鳥取県で「野の花診療所」を開いておられ、もう1000人以上を看取っておられます。
ひょうひょうとして気取らずに・・・
「世界中にはいろんな命がある。命は皆大切だが、己の命に固執してはいけない。」
誤解を恐れずこれだけのことを真剣に言ってくれるドクターはなかなか居ないと思いました。
こんな本も書いておられます。
http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E3%82%92%E8%B1%8A%E3%81%8B%E3%81%AB-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%BE%B3%E6%B0%B8-%E9%80%B2/dp/4480427139/ref=pd_sim_b_5
谷川俊太郎評:「こんな医者がそばにいてくれたら、笑いながら死ねるだろう」
どう生きるかとどう死ぬかは表裏一体ではないでしょうか。
緩和ケアというと、どうしても末期的な医療というイメージを引き摺っているのですが、
今年度のがん対策基本計画の見直しでは、
「緩和ケアは、がんと診断された時から、がん治療と並行して行われるべきもの」
という見解が厚労省より示されました。
がん患者が最初に受ける緩和ケアが「告知によって精神的に動揺を来たした場合」となりますように。
「緩和ケア」って何? ということが緩和医療学会でも取り上げられていました。
疼痛緩和など、医者が行う医療行為というのは理解しやすいのですが、
緩和ケアには、医療者の物差しでは測れない問題も沢山あって、
対処に戸惑っておられる様子も垣間見えてきました。
患者の物差しに寄り添うと言っても、相手は人間ですから千差万別。
それを看護の実践にどう結び付けるかとなると、これはなかなか難しいし、
まじめにやればやるほど、カバーしなければならない範囲もどんどん広がっていく。
看護師さんは医者以上に大変かも知れません。
医者の物差し 患者の物差し
・Cure ・Care
・How long live ・How live
・Biological life ・Narative life
(生物学的生命) (生き様、人生観、価値観)
人は誰でも死ぬけれど、どう死ぬべきかはなかなか答えが見つかりません。
私は母を亡くした時に悔しい思いをしたことがあります。
ナースステーションからガラス越しに様子を見ていた医者が、心電図が止まると
「ご臨終です」と言いながら、部屋に入って来て、酸素マスクに手を掛けました。
その途端にまたモニターが動いたんですね。
医者はしぶい顔をしながら引き返し、次にモニターが止まった時には、
さっさと部屋に入ってきて、急いで酸素マスクや体に付いている管を外し始めました。
我々に声をかけるでもなく、母に手を合わせるでもなく・・・完全に物体扱い。
私たちはあっけにとられて涙をこぼす暇さえありませんでした。
「臨終の時に心電図モニターは必要か」という発表がありました。
看護師にアンケートで解答をもらった結果、必要ないという答えが多かったそうで、
理由としては、最後の時を大切に、静かに(モニター音が気になる時も)過ごして欲しいから。
ああ、ステキな看護師さんが多いんだなとちょっと嬉しくなりました。
亡くなる時は判りますよね。大昔から人間は営々と人を見送ってきたのですから。
エンゼルケアと言えば死化粧(死後処置)ですが、これも家族に立ち会いを求めるかどうか。
現状は様々なようですが、立ち会ってもらうというのが徐々に増えつつあるようです。
デス・カンファランスという言葉を初めて知りました。
患者・家族の満足度や終末期の病状コントロール、看護目標の達成度などを
振り返って、終末期ケアの質の向上を諮るためのカンファランスですが、
亡くなった患者を担当した看護師のストレスマネージメント(グリーフケア)にもなると言う。
遺族となった時は、吾身ばかりを悲嘆しがちですが、心をこめて看護してくれた
ナースなら、やはり喪失の悲しみを抱えているということを忘れてはなりません。
「デス・カンファランス」に家族が立ち会うことはないはずですが、この用語には、
ちょっと辛い響きがありますね。
死後処置をエンゼルケアと呼ぶならば、例えばこれを「エンディング・カンファランス」とか
もう少し優しい名前に変えてほしいものです。
市民公開講座の主題は、「胃ろう」の問題。
胃ろうとは、口から食べる代わりに胃に穴をあけて栄養(薬剤)補給をするものです。
講演が3題ありましたが、私が一番興味を惹かれたのは、徳永 進先生。
鳥取県で「野の花診療所」を開いておられ、もう1000人以上を看取っておられます。
ひょうひょうとして気取らずに・・・
「世界中にはいろんな命がある。命は皆大切だが、己の命に固執してはいけない。」
誤解を恐れずこれだけのことを真剣に言ってくれるドクターはなかなか居ないと思いました。
こんな本も書いておられます。
http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E3%82%92%E8%B1%8A%E3%81%8B%E3%81%AB-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%BE%B3%E6%B0%B8-%E9%80%B2/dp/4480427139/ref=pd_sim_b_5
谷川俊太郎評:「こんな医者がそばにいてくれたら、笑いながら死ねるだろう」
どう生きるかとどう死ぬかは表裏一体ではないでしょうか。
2012年6月20日水曜日
「虐待」を考える
リレーフォーライフ芦屋は今年で6年目を迎えます。
その間、知り合ったサバイバー(がん体験者)も多いのですが、残念ながら、ほぼ毎年のように誰かが「卒業」していくのも、これまた事実です。
骨髄性白血病で歩けなくなり、それでも車いすで参加してくれていた「島ちゃん」も、2010年の暮れに「卒業」しました。彼には島田妙子さんという妹が居て、「島ちゃん」亡き後も、RFL芦屋に参加くださっています。
今日は川西市で人権と虐待を考える市民講座があり、講師はその島田妙子さん。
妙子さんが本を出版されたとか、どこそこで講演をされたとかいう話は伝え聞いていましたが、直接ご本人のお話をお聞きするのはこれが初めてでした。
いやぁ、子供時代の赤裸々な虐待体験は衝撃的でしたね。激しく胸が揺さぶられ、何度も涙があふれそうになりました。
虐待を受けている子供を見つけたら、通報し、親から切り離すだけではダメ。親も変えていかないと、親にも助けの手が必要!と訴えておられます。
以前、産経新聞に載った記事を見つけました。(↓)
是非、一度読んでみてください。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120407/wlf12040712000014-n1.htm
その間、知り合ったサバイバー(がん体験者)も多いのですが、残念ながら、ほぼ毎年のように誰かが「卒業」していくのも、これまた事実です。
骨髄性白血病で歩けなくなり、それでも車いすで参加してくれていた「島ちゃん」も、2010年の暮れに「卒業」しました。彼には島田妙子さんという妹が居て、「島ちゃん」亡き後も、RFL芦屋に参加くださっています。
今日は川西市で人権と虐待を考える市民講座があり、講師はその島田妙子さん。
妙子さんが本を出版されたとか、どこそこで講演をされたとかいう話は伝え聞いていましたが、直接ご本人のお話をお聞きするのはこれが初めてでした。
いやぁ、子供時代の赤裸々な虐待体験は衝撃的でしたね。激しく胸が揺さぶられ、何度も涙があふれそうになりました。
虐待を受けている子供を見つけたら、通報し、親から切り離すだけではダメ。親も変えていかないと、親にも助けの手が必要!と訴えておられます。
以前、産経新聞に載った記事を見つけました。(↓)
是非、一度読んでみてください。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120407/wlf12040712000014-n1.htm
2012年6月18日月曜日
倉敷
今年の2月、生保さんのセミナーで(広島)、私の話を聞いてくださった信金の常務理事さんからお声掛けをいただき、このたび倉敷(水島地区)で、話をさせていただく機会を頂戴しました。
某経済研究会主催の「文化講演会」ということで、まず始めは「沙羅双樹の花」で名高いお寺のお坊様が演壇に立ち、源平合戦にまつわるエピソードを披露され、そのあとで、「経済」や「文化」とはほとんど無縁の私が、「がん」にまつわる話をすると言うもので、場違いじゃないかとひやひやものでしたが、なんとか無事に60分の勤めを果たすことができました。
倉敷の地は約30年ぶりだったため、帰りには美観地区に立ち寄って、(アイビースクエアまで車で送っていただきました)一人で街並み散策と洒落込みました。
アイビースクエアの一隅
これはアイビースクエアを裏に抜けたところの土産物屋街。店の人も暇そうに世間話。
このあたりは、倉敷に来た観光客なら、たいていどなたでも訪れるところでしょうね。
船が近づいて来たので、「写真撮らせてね~」と一声かけてパチリ。
某経済研究会主催の「文化講演会」ということで、まず始めは「沙羅双樹の花」で名高いお寺のお坊様が演壇に立ち、源平合戦にまつわるエピソードを披露され、そのあとで、「経済」や「文化」とはほとんど無縁の私が、「がん」にまつわる話をすると言うもので、場違いじゃないかとひやひやものでしたが、なんとか無事に60分の勤めを果たすことができました。
倉敷の地は約30年ぶりだったため、帰りには美観地区に立ち寄って、(アイビースクエアまで車で送っていただきました)一人で街並み散策と洒落込みました。
アイビースクエアの一隅
これはアイビースクエアを裏に抜けたところの土産物屋街。店の人も暇そうに世間話。
このあたりは、倉敷に来た観光客なら、たいていどなたでも訪れるところでしょうね。
船が近づいて来たので、「写真撮らせてね~」と一声かけてパチリ。
この路地の突き当たりは本栄寺という小さな寺
作務衣のおっちゃんが突然現れたのですが、景色に似合いそうなのでそのままパチリ。
どんよりした空模様でしたが、なんとか雨に降られずにすみそうかな・・・とほくそ笑んでいたところ、世の中はそう甘いもんではありませんね。ざっと一通り見終わるか終わらない内に、急に雨が降りだし、逃げるように駅に向かいました。
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