2012年8月14日火曜日

郡上八幡

情けないことに、お盆に痛風が出ました。
ただ、幸いこのたびの痛風は比較的軽症だったもので、うずいたのは2日ほど。
3日目から痛みがましにはなって来たけれど、まだ杖が無いと心もとないという状況で、このたびの旅行を中止するかどうか直前まで迷いましたが、嫁さんの押しに寄り切られ(^^;、郡上八幡とその翌日に谷汲山華厳寺周辺を廻ってきました。
宇治から高槻あたりにかけて大雨の降った14日の早朝に、左手で杖を突き右手で傘を差しながら家を出て、新幹線、JR在来線共京都~大阪間は不通、乗った高速バスも京都までは高速が使えず、地道の渋滞もあって約2時間遅れでやっと郡上八幡インターへ到着。

わずか1キロ半の道のりが辛いので、タクシーを呼んで、まずは川へのダイビングポイントとして有名な新橋へ。
欄干から上半身を乗り出して下を見ると、怖い怖い(^^;
「この橋からの飛び込みで重大な事故が発生しています。不慣れな方の飛び込みは自粛するよう警告します」という看板がありました。「禁止」じゃなくて「自粛」というのが郡上八幡らしいところ。



柳町を北へ向かいます。
足が元気なら、司馬遼太郎も美しいと褒めた郡上八幡城へ寄りたいところですが、これはパス。
ここでは水が飲めます。ほっと一息。


水路には鯉も泳いでいました。


職人町から本町へ。肉桂(ニッキ)の老舗飴屋の角の露地を入ると、名水百選の一つ「宗祇水」があります。


お盆の間は、郡上おどりもクライマックスを迎え、夜7時から翌朝6時までオールナイトで踊るとか。
昼間は残念ながら踊りは見られないのですが、浴衣を着た観光客は沢山みかけました。


こんな水桶が所々に。ここでは子供が遊んでました。


トマトとキューリが冷えてます。


清流の城下町、郡上八幡のもう一つの顔は、食品サンプルの発祥地で、全国の食品サンプルのほとんどはこの地で作っているとか。
うまそうな鮎の串焼きですがこの写真はもちろん?炭火を含めて全てサンプルです。
ただ、本物の鮎を店先で焼いている所もたくさんあります。
郡上鮎というのは、姿と美味で食通を魅了する日本一のブランドアユで、皇室にも献上されていたとか。


現地では雨がほとんど降らず、傘を差さずに済んだのは幸いでした。
足が大丈夫そうなので、帰りはゆっくりですが、JR郡上八幡駅まで歩きました。
木造でノスタルジーをそそられる駅です。


大垣まで戻って、ホテル泊。






2012年7月16日月曜日

お宮参り

二人目の出産前から、ママに連れられて里帰りしていた孫(もうじき3歳)ですが、
一昨日、生後2カ月の新しい妹と一緒に、ほぼ3月ぶりにこちらに戻って来ました。
久しぶりに顔を合せるので、よろこんで飛びついてくるような場面を想像していたのですが、孫のほうが意外に冷静・・・ちょっと拍子抜けでしたね(^^)>

下の孫は写真で見ていただけなので、実物を拝むのはこれが初めて。
美人系とは言い難いが、性格はのんびり屋さんのようで、よく寝てあまり泣かないとか。
体重は6kgもあるそうで、上の孫の時より体格はだいぶ立派。大きなお腹です。^^


そして、今日は少し遅いお宮参り。
お宮参りと言っても神社じゃなくて、近所の中山寺ですから正式には「初参り」と言うそうです。
上の孫の時は、それらしい衣装で一応形を整えていたのですが、二人目はうんと略式となりました。

これは屋台で買ってもらった水笛を吹きながら帰るところ。

2012年7月9日月曜日

伴走講習会

大阪(ドーンセンター)で伴走の講習会がありました。
講習に参加したのは視覚障害者と晴眼者合せて約100名。
講師は元オリンピック(メキシコ、ミュンヘン、モントリオール)代表選手の宇佐美彰朗さん(左側)と伴走の普及活動に尽力すること30年の超ウルトラランナー鈴木邦雄(右側)さん。
写真は講習(座学)を終えて一息ついたところです。


このあと、近くの大阪城公園に移動して実技講習を受けました。
私も伴走をやって15~6年になりますが、ほとんど自己流でやっているので、講習を受けてなるほどと思う点も多々あり、良い反省になりました。

夕刻からは同じ大阪城公園で「七夕駅伝」が開催され、伴走講習会に引き続いて、それに出場する知人も大勢いました。この美女(ナース服)もその一人。
よほど顔を接近しないと誰だか判別が付きません(苦笑)


私の目的は「七夕駅伝」の応援ではなく、ここに集まった人達に、「リレーフォーライフ芦屋」(9/8~9開催)のチラシを配ることでした。

2012年6月26日火曜日

緩和医療学会に参加して

6月22日(金)、23日(土)の両日、緩和医療学会に参加してきました。

緩和ケアというと、どうしても末期的な医療というイメージを引き摺っているのですが、
今年度のがん対策基本計画の見直しでは、
「緩和ケアは、がんと診断された時から、がん治療と並行して行われるべきもの」
という見解が厚労省より示されました。
がん患者が最初に受ける緩和ケアが「告知によって精神的に動揺を来たした場合」となりますように。

「緩和ケア」って何? ということが緩和医療学会でも取り上げられていました。
疼痛緩和など、医者が行う医療行為というのは理解しやすいのですが、
緩和ケアには、医療者の物差しでは測れない問題も沢山あって、
対処に戸惑っておられる様子も垣間見えてきました。
患者の物差しに寄り添うと言っても、相手は人間ですから千差万別。
それを看護の実践にどう結び付けるかとなると、これはなかなか難しいし、
まじめにやればやるほど、カバーしなければならない範囲もどんどん広がっていく。
看護師さんは医者以上に大変かも知れません。

医者の物差し      患者の物差し
・Cure          ・Care  
・How long live      ・How live
・Biological life     ・Narative life
(生物学的生命)   (生き様、人生観、価値観)

人は誰でも死ぬけれど、どう死ぬべきかはなかなか答えが見つかりません。

私は母を亡くした時に悔しい思いをしたことがあります。
ナースステーションからガラス越しに様子を見ていた医者が、心電図が止まると
「ご臨終です」と言いながら、部屋に入って来て、酸素マスクに手を掛けました。
その途端にまたモニターが動いたんですね。
医者はしぶい顔をしながら引き返し、次にモニターが止まった時には、
さっさと部屋に入ってきて、急いで酸素マスクや体に付いている管を外し始めました。
我々に声をかけるでもなく、母に手を合わせるでもなく・・・完全に物体扱い。
私たちはあっけにとられて涙をこぼす暇さえありませんでした。

「臨終の時に心電図モニターは必要か」という発表がありました。
看護師にアンケートで解答をもらった結果、必要ないという答えが多かったそうで、
理由としては、最後の時を大切に、静かに(モニター音が気になる時も)過ごして欲しいから。
ああ、ステキな看護師さんが多いんだなとちょっと嬉しくなりました。
亡くなる時は判りますよね。大昔から人間は営々と人を見送ってきたのですから。

エンゼルケアと言えば死化粧(死後処置)ですが、これも家族に立ち会いを求めるかどうか。
現状は様々なようですが、立ち会ってもらうというのが徐々に増えつつあるようです。

デス・カンファランスという言葉を初めて知りました。
患者・家族の満足度や終末期の病状コントロール、看護目標の達成度などを
振り返って、終末期ケアの質の向上を諮るためのカンファランスですが、
亡くなった患者を担当した看護師のストレスマネージメント(グリーフケア)にもなると言う。
遺族となった時は、吾身ばかりを悲嘆しがちですが、心をこめて看護してくれた
ナースなら、やはり喪失の悲しみを抱えているということを忘れてはなりません。
「デス・カンファランス」に家族が立ち会うことはないはずですが、この用語には、
ちょっと辛い響きがありますね。
死後処置をエンゼルケアと呼ぶならば、例えばこれを「エンディング・カンファランス」とか
もう少し優しい名前に変えてほしいものです。

市民公開講座の主題は、「胃ろう」の問題。
胃ろうとは、口から食べる代わりに胃に穴をあけて栄養(薬剤)補給をするものです。
講演が3題ありましたが、私が一番興味を惹かれたのは、徳永 進先生。
鳥取県で「野の花診療所」を開いておられ、もう1000人以上を看取っておられます。
ひょうひょうとして気取らずに・・・
「世界中にはいろんな命がある。命は皆大切だが、己の命に固執してはいけない。」

誤解を恐れずこれだけのことを真剣に言ってくれるドクターはなかなか居ないと思いました。

こんな本も書いておられます。
http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E3%82%92%E8%B1%8A%E3%81%8B%E3%81%AB-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%BE%B3%E6%B0%B8-%E9%80%B2/dp/4480427139/ref=pd_sim_b_5
谷川俊太郎評:「こんな医者がそばにいてくれたら、笑いながら死ねるだろう」

どう生きるかとどう死ぬかは表裏一体ではないでしょうか。

2012年6月20日水曜日

「虐待」を考える

リレーフォーライフ芦屋は今年で6年目を迎えます。
その間、知り合ったサバイバー(がん体験者)も多いのですが、残念ながら、ほぼ毎年のように誰かが「卒業」していくのも、これまた事実です。
骨髄性白血病で歩けなくなり、それでも車いすで参加してくれていた「島ちゃん」も、2010年の暮れに「卒業」しました。彼には島田妙子さんという妹が居て、「島ちゃん」亡き後も、RFL芦屋に参加くださっています。

今日は川西市で人権と虐待を考える市民講座があり、講師はその島田妙子さん。
妙子さんが本を出版されたとか、どこそこで講演をされたとかいう話は伝え聞いていましたが、直接ご本人のお話をお聞きするのはこれが初めてでした。
いやぁ、子供時代の赤裸々な虐待体験は衝撃的でしたね。激しく胸が揺さぶられ、何度も涙があふれそうになりました。
虐待を受けている子供を見つけたら、通報し、親から切り離すだけではダメ。親も変えていかないと、親にも助けの手が必要!と訴えておられます。

以前、産経新聞に載った記事を見つけました。(↓)
是非、一度読んでみてください。
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/120407/wlf12040712000014-n1.htm

2012年6月18日月曜日

倉敷

今年の2月、生保さんのセミナーで(広島)、私の話を聞いてくださった信金の常務理事さんからお声掛けをいただき、このたび倉敷(水島地区)で、話をさせていただく機会を頂戴しました。
某経済研究会主催の「文化講演会」ということで、まず始めは「沙羅双樹の花」で名高いお寺のお坊様が演壇に立ち、源平合戦にまつわるエピソードを披露され、そのあとで、「経済」や「文化」とはほとんど無縁の私が、「がん」にまつわる話をすると言うもので、場違いじゃないかとひやひやものでしたが、なんとか無事に60分の勤めを果たすことができました。

倉敷の地は約30年ぶりだったため、帰りには美観地区に立ち寄って、(アイビースクエアまで車で送っていただきました)一人で街並み散策と洒落込みました。

アイビースクエアの一隅


これはアイビースクエアを裏に抜けたところの土産物屋街。店の人も暇そうに世間話。


このあたりは、倉敷に来た観光客なら、たいていどなたでも訪れるところでしょうね。

船が近づいて来たので、「写真撮らせてね~」と一声かけてパチリ。

この路地の突き当たりは本栄寺という小さな寺
作務衣のおっちゃんが突然現れたのですが、景色に似合いそうなのでそのままパチリ。

どんよりした空模様でしたが、なんとか雨に降られずにすみそうかな・・・とほくそ笑んでいたところ、世の中はそう甘いもんではありませんね。ざっと一通り見終わるか終わらない内に、急に雨が降りだし、逃げるように駅に向かいました。

2012年6月17日日曜日

RFLチャリティコンサート

リレーフォーライフ芦屋のプレイベントとして、今年で4回目となる「心のバリアフリー・チャリティコンサート」が地酒の蔵元が立ち並ぶ灘の一画「酒心館」で開催されました。
杉玉がぶら下がる長屋門をくぐって中に入ります。
幾棟かの建物は、皆、酒造を模様替えしたものですから、非常に落ち着いた雰囲気で、中庭の左手は和風レストラン「さかばやし」、酒林というのは杉玉と同じ意味ですね。右手が酒造りの展示と土産物グッズの販売所(試飲もできます・・・もちろんきっちり味見をさせていただきました)、一番奥が今回利用させていただいた「酒心館ホール」となっています。
これはリハーサル中の写真です。後ろでは「さをり織」の布をディスプレイ中。9月のRFL芦屋では、一昼夜歩き(走り)続ける横で、皆で交替でこの布を織り続けます。延長は25mにもなるという。
来場者は約100名。
中央のステージを囲んで、古材がむき出しのほっこりとした空間で、ここでピアノとオルガンの演奏を楽しみます。オルガンというと、我々の年代では、昔、小学校の教室に置いてあったようなのを思い浮かべますが、現代のオルガンは驚くほどいろんな音が飛び出すので、まるでシンセサイザー(これも良くは知らないのですが)の様ですね。
このコンサートの主役(企画・構成)たけうちかおりさんの演奏から始まって、終盤は小学生の子供たちも連弾で登場、和やかで良い演奏会となりました。

途中で、リレーフォーライフに関するインタビュータイムがあって、私も「キャンドルラン」についてちょっとおしゃべりしたんですが、たったそれだけで、大きな花束をもらうことに。
ひょっとしたらこんなことは人生初かも?
コンサート終了後、スタッフ一同で写した写真がこれ。(↓モノクロは写真のプロヒデさんが撮影)
この後、打上で、阪神御影駅近くの飲み屋に移動しましたが、明日の出張予定が気に掛り酒量はかなり控えめでした。

2012年5月8日火曜日

予定日がちょうど5月5日の子供の日だったので、誕生日と重なれば覚えやすくていいなと思っていたのですが、連休はなにごともなく終わってしまいました。
まだかまだかと思っていたら、今日連絡が入り、無事に生まれたとのこと。
ほっ。
二人目の女の子です。(^O^)v

2012年5月6日日曜日

元慶寺(山科)~宝厳寺(竹生島)~長浜

JRの関西1dayチケット(2900円)を購入。今日のルートでは約1000円おとくになります(^^)v。
まずは山科で降りて、元慶寺(西国番外札所)を急ぎ足で往復。
山門は禅寺風でこじんまりとしており、本堂もやや寂れた感はあるものの、花山法皇ゆかりの寺でちょうど新緑がきれい。


近江今津から船(琵琶湖汽船)に乗り約25分で竹生島に到着。


急な階段を登り切ると宝厳寺(西国30番札所)の本堂。予想よりだいぶ大きい。
納経を済ませたので、あと残るは華厳寺(岐阜県)のみ、西国三十三ヵ所に王手をかけたことになる。


三重塔脇の宝物殿と少し引き返して月定院を見学。


豊国廟から移築されたという唐門(国宝)をくぐり観音堂でお参り。


船廊下を渡り都久夫須麻神社(国宝)で手をたたき、階段を降りたところが竜神拝所。
ここから前に見える鳥居をめがけて、かわらけ投げができる。(下の白いのは皆かわらけ)


こんどは船廊下に沿って下の道を戻るのだが、ここから見ると清水の舞台を連想します。


再び船に乗って、こんどは対岸の長浜に移動。
長浜城は昭和に建てられたお城スタイルの歴史博物館。やはりどうもチャチですね。(写真はカット)

商店が立ち並ぶ市内は、連休(子供の日)のせいか活気がありました。


正面に見えるのは長浜御坊大通寺の山門ですが、デカイですね。


デカイだけじゃなくディテールも精緻です。


これは酒屋の看板ですがレトロな匂いがぷんぷんしてました。






2012年5月3日木曜日

安土城~観音正寺~五個荘

安土城は西から入って東へ抜けるつもりだったが、西からは進入禁止。
入口を駐車場のある東側一か所に絞って、入場料をきっちり取る作戦か。(^^)>
大手道は蹴上の大きい石段の連続で、杖にすがって登る人も。
天守跡で折り返し、信長の菩提寺、摠見寺の方へ迂回。
こちらは人通りが少なく、石段には雑草や苔も。


三重塔、仁王門は重要文化財。


観音正寺に向かうには、桑實寺(くわのみでら)を通過しなければならないのだが、
これもかなり急な石段が続く。


あまり知られていない寺ではあるが、創建は白鳳時代に遡る。
本堂は格式と気品のある建物だと思ったが、それもそのはず、南北朝時代に建立されたまま現在に残っているとか。


ここから山道をさらに登ると、観音寺城跡に出る。
所々に石垣や石段が残っているのみ。
細い道をゆっくり下っていくと、観音正寺の石垣と寺の建物が見えてくる。


納経を済ませ、反対側へ出たところ。車で来る人が多いのでこちらが正面となる。


徒歩で五個荘の金堂地区へ向かう。
勝徳寺の白壁、その前を流れる水路には大きな鯉が泳いでいます。



昔ながらの商家の台所。


この地域を訪れるのは2度目だが、今回は「武者人形めぐり」のイベントが行われており、
ちょっとラッキー。
飾られている鯉のぼりにも本物の迫力がありました。