2013年1月26日土曜日

多田神社周回コースを一走り

ふと思い立ち、20km程のコースを周回してきました。軽く一走りと言いたいところですが、久しぶりなのでかなりヨレヨレ、歩きもだいぶ交じりましたが、なんとか無事に3時間弱で廻ってきました。
阪急山本駅から沢沿いに登っていき、唐風の門をくぐり右手に行くと最明寺の滝。落差は10mほどで、奥の岩穴には不動明王が祀られています。


井植山荘とよばれている豪邸の脇を通ります。庭園(非公開)の広さは甲子園球場の数倍だとか。真偽のほどは定かではありませんが、以前、ここの庭から雉が出てきたのを見かけたので、さもありなんと。

満願寺の仁王門。金太郎(坂田金時)とゆかりがある寺です。

多田神社に行くにはこの橋を渡ります。(これは渡り切って振り返ったところ)

多田神社は清和源氏発祥の地だと言う話ですが、詳しいことは知りません。
とりあえず本殿に寄ってお参りだけはしておきました。

帰りは別ルートで。沢沿いの登り道で、こんな集落を横切ります。

徐々に高度を上げ、「宝塚市」の標識を見ながら市境を跨ぐと、まもなくこの橋が見えてきます。

ぐるっと廻り込んで橋を渡ると、こんどはすぐに長尾山トンネルをくぐります。

1kmほどのトンネルを抜けると、後はほとんど下るのみ。
ひと風呂あびて、梅田で行われる同窓会に向かいました。

2013年1月24日木曜日

奥の院から中山頂上

トレーニングというよりは、気分転換のつもりで裏山へ。
奥の院へ向かう道には、たくさんの地蔵があり、その気になって見れば、古道らしき雰囲気も。

しかし、奥の院の前にたどり着いて驚いた。
昨年、新しい車道が付いた時も、苦々しく思っていたのだが、こんどは鳥居が取り払われ、大きなステンレスの受水槽が座っている。
何のためにこんなものが必要かは判らないが(防火用水なら地下で良い)、同じ設置するにしても、もっと人目に触れないやり方もあるはずだ。この山で修業された聖徳太子もさぞ嘆いておられることだろう。

参考までに、これはついこの間までの姿です。

頂上で一休憩。見えているのは猪名川町の振興住宅街。

住宅街をゆっくり走り降り、ひと風呂あびて、神戸での「ひょうごがん患者連絡会」の打合せと新年会に向かいました。

2013年1月22日火曜日

「子宮頚がんセミナー」のお手伝い


昨日(1/22)は、MBS(毎日放送)のがん啓発キャンペーンの一環である「子宮頚がんセミナー」が大阪で催され、そのお手伝いに行ってきました。
http://www.mbs.jp/joc/
講師は北野病院産婦人科部長の永野先生ですが、子宮頚がん患者でもあるタレントの原千晶さんがゲスト講師として自らの体験を語ってくださいました。



受付周辺で案内等のお手伝いをしていたので、実際の話はなにも聞けなかったのですが、来週中にはその模様がネットにアップされるはずなので、追ってまた見てたいと思っています。
会場となったのは、新しくなった阪急うめだ本店の9階に出来た「阪急うめだホール」。
300人収容のホールでしたが、参加者250人が座りきると、雰囲気的にはほぼ満員でした。
昨秋、阪急うめだ本店の竣工時に、TVや新聞雑誌でも良く取り上げられていた吹き抜けのイベントスペースは、ちゃっかり見学済みだったのですが、このようなホールが同じ9階にあったというのは、今回初めて知りました。
控室など裏方の設備も充実していて、これが百貨店の一部だとは到底思えません。
その昔、1階に電車の乗り入れていた馬蹄形の百貨店を知っているだけに、改めて感無量の思いでした。


2013年1月16日水曜日

生きる(阪神淡路大震災から18年)

阪神淡路大震災から18年を明日に迎えて、「生」(生きるの「生」・・・ナマと読んだらだめですぞ)の字に火が灯りました。
有川浩の「阪急電車」にも書かれていましたが、宝塚を流れる武庫川の小さな中州に、石で積まれた「生」の字です。


私が見たのは夜の9時過ぎですが、写真を写したり、立ち止まって眺めている人は10人も居ませんでした。夕方に灯が点るのを見てすでに帰ってしまったのかも知れませんが、記憶の「風化」が気になりました。

ぐるっと廻りまながら写真を写している間にも、阪急今津線の電車が数本橋を通過しました。この電車に乗っていれば、もっと高い角度から見下ろすことができるのですが、どのくらいの乗客がこの灯りに気付いたことでしょう。


2013年1月15日火曜日

竹田城跡(兵庫県和田山)

土台の石積みだけが残っている山城で、日本のマチュピチュとか天空の城と呼ばれ最近話題になっているのがこの竹田城です。
この写真(1枚)は他のブログより拝借してきました。おそらく東隣りの山から撮ったのでしょう。
晩秋の良く晴れた風のない日の早朝が狙い目だとか。

家から車で約2時間、その気になればいつでも行ける距離ですが、訪ねるのは始めてでした。
観光案内所で教えてくれた竹田駅近くの駐車場に車を止めて、駅裏の登山口から登り始めます。家内もいっしょだったので、30~40分かかって城跡の端部に到着。ひと汗かきます。

さらに階段を登ると(このあたりが大手門だったとか)、北千畳と呼ばれる広場に出ます。

広場から東を見た所です。眼下に見えているのは竹田の街、左右に伸びているのは円山川。

弓の弦のように南北に伸びたウィングのほぼ中央が天守閣跡。人が立ってるあたりですね。 

 天守閣跡に立ってから今度は南寄りに下り始めます。
 向かい側には雪の積もった山が見えてます。

階段を下りながら、徐々に南千畳に接近。

この辺りの雰囲気がマチュピチュに似ているのかな?
実際のマチュピチュを知らないもんでなんとも(^^;


 時々後ろを振り返ります。


南千畳から下る山道へ向かいます。

表米神社に下る山道が災害で通行止めになっていたので、中腹の駐車場を経由して車道を降りてきました。
水路に沿ってお寺が並ぶあたりは、良い雰囲気の街並みです。水路に鯉も泳いでいました。

これは行きにも通った線路下(JR播但線)の抜け道。腰をかがめないと通れません。

JR竹田駅も木造かわら屋根葺きで、落ち着いた雰囲気でした。

雪景色を期待しつつ出かけたのですが、当てがはずれましたね。季節的なこともあり、写真的にはちょっと色合いが寂しかったかも。
でも、これだけ荒々しい感じの山城はなかなか他では見られないでしょう。
一見の価値ありだと思います。

2013年1月10日木曜日

裏山(中山)の散歩

軽いトレのつもりで夕方(4時過ぎ)から裏山(中山)の散歩。さすがこのぐらいの時間になると山の中では誰にも会いません。
奥の院へ向かう道を登ることが多いのですが、久しぶりに沢伝いの路を登りました。
所々に小さな「滝もどき」があって、良い水音を立ててます。

そのまま沢を登り詰めても良かったのですが、今回は途中から左の尾根の取りつきました。
聖徳太子の修行跡あたりですでに薄暗くなりはじめ、なんとか展望台あたりまで進んで、この残照を写しました。頂上を往復する予定で家を出たのですが、所々で写真を撮っていたせいか、予想より時間を食ってしまい、完全に日が暮れるとやばいので頂上は断念、そそくさと住宅街への逃げ路を下りました。
枝道に不慣れなハイカーの皆さんはこんな真似をしてはいけませんヨ(^^;

この写真は住宅街に出る直前、木々越しに眺めた50万ドルの夜景?です。
山道はかなり暗くて足を運ぶのにも注意が必要でしたが、あと10分遅れていれば、ほんとに手探りだったかも。
山道を抜けると、あとはアスファルトの舗装路を下るのみ。練習不足で脚ができていない状態なので、スロージョグで慎重に下ってきました。3km近くある坂なので、調子に乗って走ってしまうと、膝を痛めてしまいます。

2013年1月7日月曜日

熊野古道(伊勢路)

正月の3日から6日まで、家内といっしょに熊野古道(伊勢路)に出かけました。
伊勢路(新宮~伊勢)をアバウトに見れば、三重県のほぼ海岸線沿いですから、海を見ながらの気楽なコースと思われる方もおられるでしょうが、実は山道も多く、総延長は約170km。一度にすべてを歩き(走り)通そうと思えば、ウルトラマラソンなどで普段から鍛えている人は別にして、普通の人なら無事に歩き通せたとしても、一週間以上かかるのではないでしょうか。
このたびはその一部で比較的人気のあるコースを厳選?、初日は新宮、最終日(4日目)は伊勢に、観光気分の寄り道をしたので、丸々歩いたのは中の2日間でした。
熊野本宮大社は2008年に一度、那智大社には去年も含め3度行ったことがあるのですが、新宮の速玉大社に立ち寄るのは始めてでした。これは本殿。
神宝殿の脇には、熊野地方出身だったと言われる弁慶の木造彫刻があり、出来栄えにしばし見惚れる。帰宅後調べてみると、龍神村在住の「チェ-ンソー彫刻」の世界チャンピオン城所啓二さんの作品であることが判明。

速玉大社はそもそも、この近くにある神倉神社のゴトビキ岩に降臨された神様を今の場所に遷宮したもので、新宮の名前もここからついたものだとか。
神倉神社の鳥居をくぐればいきなりこの急傾斜の石段が続きます。

汗をかきながら数百段の階段を上ると、最近パワースポットとしても人気もあるゴトビキ岩が現れる。かなりの迫力だが個人的には滋賀県太郎坊の大岩のほうがより印象が強烈だった。

このあとはJR新宮駅から三木里駅に移動し民宿に泊まる。
二日目は8時に宿を出て、コース最大の難所と言われている八鬼(やき)山越えへ。
道は、比較的なだらかな明治道と、急傾斜で尾根に取りつく江戸路に分かれるが世界遺産になっている後者を選択。「槍かたげ」と言われる急坂も、普通の山路とさほど変わらなかったので、ことによると「石畳が多いし登りやすい」と宿の人が勧めてくれた明治道のほうが正解だったかも知れない。八鬼山頂上に近い尾根からの眺めはこの通り綺麗だったのでまあ良しとしますか。

八鬼山(627m)の峠を越すと、石畳や苔の岩も目に触れるようになり、古道らしい雰囲気が出てきた。

あちこちに石地蔵が点在している。行き倒れになった巡礼の墓標もあり、最大の難所と言われるだけのことはある・・・今も水場は少ないし、昔は相当難儀したことだろう。

山を下ると石油タンクや火力発電所もあり、一気に現実世界に引き戻される。案内の矢印通りにくねくね曲がる矢浜の狭い路地を通ったものの、昔の雰囲気はほとんど残っておらず、路地裏を抜け街道に出て正直ほっと。尾鷲駅周辺には歴史を感じさせる町屋もチラホラ。

馬越(まごせ)峠へ向かう。
半ば登ったあたりから石畳が始まり、少し横にそれると落差10mほどの小滝もあった。
休憩ベンチでおにぎりの昼食。標高325mの峠に到着。

熊野古道はそのまま真っすぐ進むのですが、通りすがりのハイカーから絶景と聞いた天狗倉山へ立ち寄ることに。東へ延びる尾根伝いに登っていくと、頂上近くになって檜の枝越しに巨岩が見えてきた。写真では判りにくいが度胆を抜かれるほどデカイ。こんな岩がいくつかある。

梯子のかかった巨岩を登るとそこが頂上(522m)。ほぼ360度が見渡せます。岩の上は広いけれど恐がりの人には梯子からの移乗がやっかいかも。(家内も下で待機)

馬越峠まで引き返し(往復で約1時間)本来の熊野古道に戻ります。
下りは石畳と羊歯の群生がきれい。
山を下って国道と合流、道の駅でコーヒー休憩のあと、相賀駅近くの宿についたのは夕方4時過ぎでした。

8時に宿を出る。始神(はじかみ)峠の登りは、江戸道に取りつくには国道を長く歩かなければならないので、傾斜の緩く池の傍を通る明治道を選択。峠の頂上を少し過ぎたあたりにベンチがあって展望も効く。

峠の下りは江戸道を経由。平地へ下りて三野瀬の集落を過ぎ、三浦峠に向かおうと緩い坂を登り始めたら、後ろから「お~い」と呼ぶ声がする。振り向けばをよたよた自転車を漕ぐ初老のおっちゃん。私達を見かけ古道歩きに違いないと思って後を追ってきたという。
この写真の記念グッズを「ワシが趣味で作ったもの、お守り代わりに持っていけ」と差し出してくれた。いたく感激!

三浦峠の下り(熊谷道)もヒノキ林と羊歯が多い。

海岸近くの神社から古里トンネルの向こうへ抜ける山道に「崩落危険・進入禁止」の札が据えられていた。先行偵察してみたが、崩れ後は数か所あったものの、通行は十分可能だった。
古里温泉の案内看板を横目に、舗装道を登り左の林道に踏み入れるとあっけなく一石(いっこく)峠。そのまま下って国道に出る。
ツヅラト峠に向かう道は二通りあり、海沿いの道を進んだがこれが間違いの元。海岸線が複雑に入り組んでおり、案内図にない橋が数本あったりして道を間違え、かなり余分な時間を食ってしまった。
この写真は遅れた分を取り戻そうと、急いでツヅラト峠の登り口を目指すところ。

たかが357mの峠と思っていたが、すでにかなり歩いていることもあったのか、登り口から先、峠までの登りが予想以上に長く感じられた。

ツヅラト峠に到着。西に続く尾根を少し登ったところに見晴らしの良い展望所がある。

峠を下ってから林道と県道を歩くこと約2km。午後4時、梅ヶ谷駅に着く。駅舎のない無人駅であらかじめ調べたところ宿もなさそうなので、松阪まで電車で移動しました。
あくる日(6日)は、お伊勢さんのお参りです。もう少し鳥居に近寄ってカメラを構えると、警備員に注意を受けました(^^;

二見ヶ浦はほぼ40数年ぶり、ほとんど覚えていなかったので案外新鮮でしたね。

3泊4日の旅が無事に終わりました。
熊が出没すると聞いていたものの、出会ったのは尻の毛の白さが目立った鹿2匹と、尻の赤い猿が数匹のみでした。
伊勢路は時々町中に出てしまうので、古道の雰囲気は4年前に行った古色蒼然たる雲越えには及びませんが、それでも十分、新鮮な空気を吸い、鋭気を養いながら古の参詣道を楽しめました。