2011年3月29日火曜日

淡路島1/3周?

物好きなグループ30人弱で、淡路島を走ってきました。
「淡路島一周」練習会という呼掛けだったんですが、私は練習不足で一周は到底無理。
皆さんの脚を引っ張らずに、どこで撤退するかが勝負どころ(^^;
東浦BTを10時にスタートし左廻りに走るわけです。左回りのほうが、夕陽・朝日を拝めます。
45kmぐらいまではなんとか付いていけたのですが、だんだん脚が言う事を聞かなくなり、
慶野松原のコンビニでは、一人取り残される形となり、こりゃあかんとリタイヤを決め、リーダーに連絡を入れました。
日が暮れ始めたのに、高速バスの乗り場(陸の港西淡)がわからず、灯りがついている湊の飲み屋の暖簾をくぐり、西淡BTの場所とバスの時間を確認。酔いの回った客が親切に教えてくれました。
時間待ちと寒さよけを兼ねてここに居座り、泡で喉をうるおし腹ごしらえもして、数キロ離れた西淡BTへはまた駆け足。
無事間に合って帰宅できました。(^^)v
私以外の皆さんはほとんどが完走とのこと。さすが精鋭グループです。(私は約55kmでリタイヤ。場違い!?!)
練習不足が最大の敗因ですが、5kg体重が増えているのも痛いところ。(>_<)

2011年3月25日金曜日

がん対策推進条例について

がん対策基本法が成立したのは2006年ですが、これを受けて各都道府県ではがん対策推進基本計画策定が進みました。また、この基本計画だけではあきたらず、「がん対策推進条例」の策定を考える府県も増えてきました。
現在(2011年3月末)では、すでに14府県と4市町が「がん対策推進条例」を有し、約7県が制定を検討中とのこと。水面下で動いている府県もかなりあるはずですから、今年度中にはおそらく20府県を越すでしょう。

近畿地方だけを見れば、奈良、大阪、京都がすでに制定済みで和歌山が準備中・・・私の住まう兵庫県でも、そろそろこうした条例が必要な時期に差し掛かっているのではないでしょうか。
条例の概要を、我々自身が知り、関係者にも知っていただくため、まずは、14府県の「がん対策推進条例」の現状分析が必要だと思ったわけです。
 ↓これがその現況調査表です。
 http://hyogo-capa.net/data/img/ganjorei-table.pdf

まだ条文の内容にまで踏み込んだ詳細チェックまではできておりませんが、それぞれの府県の条例にどんな内容の項目(条文)が含まれているかの一覧表を作成しました。
14府県の条例をすべてプリントアウトして、それぞれの項目を比較作成したオリジナルデータですが、この表をじっくり見ていただければ、府県ごとの特徴が見えてくると思われます。

もし、皆さんの都道府県で、まだ「がん対策推進条例」が定められていなければ、条例制定運動をおこしてみませんか?
「条例制定」の取組みは、だいたい下記のような流れが多いようです。
私はひょうごがん患者連絡会に対し、H23年度の取り組みとして、これを具体的に進めることを提案したいと考えています。

STEP1:調査
 ・県のがん対策や、がん対策推進計画の内容を調べる
 ・県議会の厚生労働委員を調べる

STEP2:情報発信
 ・県議会議員、地元メディアに他県のがん条例の制定状況を知らせる

STEP3:アクション
 ・がん患者団体やその連合会を設立し、活動を開始する
 ・がん条例制定を求める活動について、地元メディアに取材要請
 ・県内の関係者を集めて、がん条例制定を求めるシンポジウムを開く

STEP4:要望
 ・知事に、がん対策の推進とがん条例制定を要望する
 ・県議会議員に、がん条例制定を進める超党派議員連盟の設置を要望する

2011年3月22日火曜日

紀三井寺・粉河寺

小雨の降る中、西国33ヶ所の2番紀三井寺と3番粉河寺に行ってきました。
自宅から車で(^^;

紀三井寺は有名ですから、もっと由緒ある鄙びたところかと思っていたのですが、
さほどでもなかったですね。
みやげ物屋の正面、朱色の山門をくぐると、長い石段とその左側面の石垣が迎えてくれます。


ここの石がきは横に平べったい石を多く使っているんですね。
石段を登って右側には、新しくできた(平成20年)鉄筋コンクリート造の仏殿が設けられ、
中にはこれも新しく作られた金色に輝く大観音像(木造:千手観音)が祭られています。
中に入って3階まで上がってみたのですが、景色は大変良かったのですが、この建物が昨今流行りの納骨堂を兼ねていることも判りました。お寺のしたたかな商売気を覗き見たようであまり良い気持ちはしませんでした。
仏殿の反対側にある本堂は、手が加わっていないので、それなりの時代を経て来た渋さが感じられました。
寺はやはりこうあってほしいものです。

粉河寺は予想以上に立派な寺でした。大門をくぐり石畳を歩いていくと、大門よりも立派かと思える中門が現れます。

屋根の張り出しの構造とそのスケール感はさすがです。
中門をくぐって左手に見えるのが、石を多用した粉河寺の名園。いわゆる和風の庭園とは大きく異なるので、これが名園と言われても良くわからなかったのが正直なところ。
本堂は規模も大きく堂々たるたたずまいです。本堂横の大楠の根の張り方もただものじゃない。
平安時代にはすでに名刹として有名だったようで、今に残るいくつかの建物にも往時の七堂伽藍の面影が漂っています。

2011年3月16日水曜日

原発事故

大地震、大津波の惨劇は目を覆いたくなるばかりですが、原発事故も恐ろしさという意味では決してひけをとりません。
目に見えない部分が多いだけにいっそう不気味ですね。
原発事故も天災が引金となったのは確かですが、テクノロジーの過信という人災も合わさっていたように思えてなりません。
原発新設の折りには、常にフェールセーフが強調されてきました。
原発というものは、何重もの安全で守られており、万一ちょっとした事故が発生しても、大きなトラブルが起きないように設計され、運営もされていたはずなんですが、このたびはいとも簡単にその安全神話が崩れ去ってしまいました。
人間の能力は自然の前では赤子に等しいということなんでしょうか。
石原都知事がこのたびの災害を「天罰」と表現してマスコミ等から叩かれましたが、こと原発に関してはそれも正しいのではないかと思っています。

娘婿のオジサンですが、まだ連絡がありません・・・

2011年3月12日土曜日

昨日14時46分と言えば、私が金沢の某会場でちょっとした講演(おしゃべり)をしていた時間帯なんですが、 熱が入っていたせいか?地震にはまったく気づかず。
座ってた人が天井見上げてきょろきょろしていた時があったので、たぶんその時だったんでしょう。 
講演が終わってから、「大きい地震があったらしい」と聞きましたが、すんなりと聞き流し、そのあと21世紀美術館を見物しておりました。 

18時頃だったでしょうか、帰り道、JR金沢駅に入ると、人集りがあり号外を配ってたんですね。 
これを見て肝をつぶしました。マジ、大地震やがなぁ!津波も襲ってきた!!! 

帰宅が遅かったので、その晩はTVに齧りつくだけで、心当たりの安否確認が取れたのは今日になってから。 
娘のダンナが仙台出身なんですね。 
デイサービスへ出かけたままおばあちゃんが一晩行方不明だったのが、今朝無事が確認されたとか。 
でも、オジサン(お父さんの兄弟)とはまだ連絡がとれないまま。 
数百人が亡くなった仙台若林区というから、心配が募ります。 

2011年3月6日日曜日

修二会(お水取り)

この時期、奈良で恒例のイベントと言えば、東大寺二月堂のお水取りですが、
ことし限定のイベントとしては、薬師寺東塔の特別拝観があります。
薬師寺東塔は創建後1300年を経て解体修理をすることとなり、その内部の特別拝観が始まっています。
欲張って、どちらも一度に見てしまえと言う事で、5日は奈良に行ってきました。

薬師寺では、まずは聚寶館と大宝蔵殿「慈恩大師像特別公開」を見学。
東塔の中へ入ると、東京スカイツリーのモデルにもなった?という揺れる芯柱が中心にあり、
それを4本の柱が取り囲み、4本の柱をさらに12本(一列4本)の柱が取り囲んで居ます。
そして、4本の柱と12本の柱の間に仮設通路が設けられており、見学者はそこをぐるっと1周するわけです。
天井板に書かれている極楽に咲くという花の模様は、かなり擦れており、よほど気をつけてみないと全体の形は判りません。礎石から浮いているという芯柱の底部を見たかったのですが、これは見ることができませんでした。

薬師寺から東大寺へ向かうルート上には、有名なお寺がいくつかあります。
薬師寺へ来る時は、いつもその北にある唐招提寺もワンセットで訪れることが多かったのですが、
このたびは唐招提寺は迂回路になるので省略させていただきました。
薬師寺を出て東へ車道伝いに4kmほど行くと、大安寺です。
ちょうど馬頭観音像が公開中でした。
境内にセットされたガーデンテーブルで、昼飯代わりのおにぎりをほうばって、途中、ならまちをぶらつきながら元興寺へ。ここは曽我氏のお寺ですね。
大安時、元興寺とも大伽藍を有する寺だったのですが、いまはどちらもちと寂しいですね。
元興寺から猿沢の池を挟んで北にあるのが興福寺。
ここは藤原氏の寺ですが、今でも立派な伽藍がたくさん残っています。
南円堂が西国33カ所の9番札所となっており、ここで御朱印を頂戴し、国宝館で有名な阿修羅像とご対面。
国宝館には阿修羅像以外にもおもわずうなりたくなるような仏像がたくさんありました。

そして、いよいよ東大寺へ。
大仏殿の参拝を済ますと、時間はちょうど5時。
まだ少し早い気がしたものの、人波に流されつつ二月堂へ脚を運びました。
始めしばらくは良弁杉の近くに陣取り座りこんでいたんですが、まもなくスピーカーで「全員起立、もっと詰めて!」という放送があり、時間と共に続々と人が増えてきました。
このあと最後まで約2時間立ちっぱなし。冷気が足の裏から立ち上がり、ともかく寒かった。
お水取りの行事をするのは12日だけだそうで、1日から14日までは正しくは修二会と言います。
満願の14日は10本の松明が勢ぞろいするらしいのですが、今回見たのは1本ずつの松明が順に回廊を移動するもので、一時に見られるのは左右2本。
それでも、松明がまわされ、火の粉がどっと散ると歓声が上がっていました。
写真撮影もフラッシュは禁止ですが、フラッシュの止め方がわからず写すのを断念。(^^;;;
冷えた身体を鍋やきうどんであっためてから帰路につきました。

見る方は気楽で良いのですが、修二会を行う練行衆の行法はとんでもなく厳しいものだそうですね。


2011年3月3日木曜日

昨日(3/2)は、体験談のお話しをするために、行田(ぎょうだ)市(埼玉県)に行っておりました。
我々関西人は、栃木とか埼玉あたりには土地勘がなくて、どうもピントきません。
JR西の駅員にもそんなところがあるようで、上越新幹線を熊谷(くまがや)で乗り換えて、行田までの切符を買ったんですが、熊谷で自動改札を通過しようと思ったら、警報にひっかかりました。
行田というのは、上越新幹線と並行したJR線を東京寄りに1駅戻ることになるのですが、買った切符の乗車券は熊谷経由ではなく、直接行田までの料金となっていたようで、その間の往復料金360円を新たに徴収されました。
駅売りきっぷでもこういうミスがあるんですね。

行田市というのは城下町だったんですね。
忍城[おしじょう]というお城がそれなんですが、石田三成2万の軍勢に責められても、五百の軍勢でそれを防いだとか・・・
この秋に「のぼうの城」という映画が公開されるのですが、その舞台がここ行田市だそうです。
のぼうの城(映画)のオフィシャルサイトはこちらです。
http://nobou-movie.jp/index.html

写真は復元された三階櫓の外観ですが、中に入ると鉄筋コンクリート製であることがわかります。外観もどこかもっちゃり気味のプロポーションなので、どこまで正確な復元か、ちょっと疑ってしまいました。


ついでに、城の由来も写してきました。