2011年12月25日日曜日

一乗寺&圓教寺

キリストの降誕を祝うクリスマスですが、日本人ならやっぱりお寺詣りやろ?ということで、
西国26番法華山一乗寺と27番書写山圓教寺に行ってきました。
足の便が悪いのと、2個所の距離がちょっと離れているので、車で行くことに。
一乗寺では、まずは長い階段を上るのですが、途中左手に国宝三重塔(平安時代に建立)があり、さらにそこから見上げると、階段の最上部に立派な本堂があり、この回廊に立てば播磨平野を背景に、塔を見降ろすことができます。
前回訪れた時はここから「賽の河原」のある山道を迂回して降りたのですが、
土砂崩れのため通行禁止となっていました。

圓教寺へ向かいます。
書写山ロープウェイ駐車場に車を止めて、ロープウェイで上がります。
昨日までメンテナンスで運休していたそうですから、ラッキーでした。
山上駅から歩くこと約15分で、圓教寺の摩尼殿(本堂)に到着。
摩尼殿の床や屋根の張り出しの迫力は圧倒的ですね。
さきほど見た一乗寺の本堂も影が薄くなってしまいます。
摩尼殿背面と岩壁の間を抜けて奥へ進むと、
大講堂・食堂(じきどう)・常行堂が、コの字型に並んでおり、これも見ごたえがあります。
食堂の中は展示場になっていて、無料で入れます。
境内はけっこう広くて、伽藍を見て歩くだけでざっと1時間はかかるでしょう。
帰りはロープウェイには乗らず、山道を下って降りました。

2011年11月23日水曜日

近江八幡から長命寺へ

JR近江八幡駅から歩いて「長命寺」へ向かう途中に八幡堀端を通ったのですが、ポン菓子屋が店先でバン!という大きい音を立てていました。
我々が子供のころは、行商のおやじさんがリヤカーに機械を積んで、よくこれをやってましたね。
つい懐かしくて、ポン菓子を買って食べたのですが、昔のほうがもっと甘くておいしかったなぁ~。

西国31番札所「長命寺」ではこんな石階を登ります。
所々石が崩れているので、段数は数えにくいと思うのですが、808段だとか。
いったい誰が数えたのでしょう。(謂われがあるのかな?)

この写真は、鐘楼付近から見た本堂と三重塔。
鐘楼は登ることができて、賽銭箱に100円入れて鐘をつくと良く響きました(^^)>
紅葉はまだ半ばぐらいでした。

2011年11月12日土曜日

醍醐寺~岩間寺~石山寺

京都地下鉄醍醐駅から、醍醐寺~上醍醐~岩間寺~石山寺を経てJR石山駅に抜けました。

醍醐寺(十一番札所)
醍醐寺は世界文化遺産でこの五重塔は国宝です。

本来の納経所はここから山道を小一時間登った所にある上醍醐の准胝堂ですが、
2008年の火災以来醍醐寺の女人堂に代わっています。
上醍醐に向うにはここで入山料(500)を払います。
上醍醐の伽藍も立派なものが多いですね。
五山堂脇から細い山道を下り、岩間寺を目指します。


岩間寺(十二番札所)
芭蕉の句「古池や蛙飛び込む水の音」で有名な池はこの寺あります。
境内から少し谷筋へ下ったところにある桂の大樹群(日本一)がこの写真。
ぼけ封じの寺でも有名ですから、効能を信じて篤く手を合わせておきました。


石山寺(十三番札所)
寺名の由来ともなっている硅灰石の壁(天然記念物)が有名ですね。
紫式部が源氏物語を書き始めたのがこの寺だそうで、
以前来た時には、寺の美術館で「紫式部展」を見学しました。
写真は本堂ですが、提灯が大きいのに驚きました。

2011年10月30日日曜日

前立腺がんのガイドライン改訂について

癌治療学会に参加して知ったことの一つに、「前立腺がんのガイドラインが近く改訂される」という情報がありました。
欧米で用いられている前立腺がんのガイドライン(特にNCCN)と日本のそれとでは、治療体系が大きく異なります。
NCCNのガイドラインが「リスク分類に応じた治療体系」になったのは2003年。
日本の前立腺がんガイドラインの制定は2006年でしたが、まだNCCNの新しい考え方に馴染めず、従来の「ステージ優先の治療体系」を継続しました。
その後、日本でも徐々にNCCNの考え方が浸透して行ったものの、ガイドラインの改訂はずるずると先送りされてきました。
国立がんセンターのHPも、がん情報サービスへの移行を契機に、2006年にその内容が一新されましたが、中身はやはりステージ重視の古い治療体系のままでした。
ガイドラインが新しくなって、その辺はどう変わるのか・・・「Meet the prof」 で筧教授に訊いてみたところ、新ガイドラインでは、「リスク分類に応じた治療体系」を採用予定とのこと。
「ひげの父さん」の名前で、2005年以降、「リスク分類に応じた治療体系」をHPで紹介して来ましたが、
http://hige103.main.jp/soulful-world/guidebook/sheet000.htm
欧米では標準的なNCCNですが、我国ではその流れを汲む前立腺がんサイトは他に見当たりません。
日米のガイドラインのタイムラグは約8年。私も異端サイトを立ち上げて苦節6年(笑)。
ドラッグ・ラグは今やすぐ問題になりますが、ガイドライン・ラグというのは底流ですからなかなか目立たないんですよね。

2011年10月6日木曜日

薬事法違反

健康食品の販売会社(キトサンコーワ)が薬事法違反で捕まることは珍しくないが、
その効能を記した本の出版社側(元社長と3人のフリーライター)も同罪幇助容疑で逮捕された。
http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201110060019.html

「がんに効く」と偽って、ブツ(「キトサン」などの成分を含んだ錠剤)を高い値で売り付けていたのは、がん患者の弱みに付けこむ商法で、ほとんど詐欺と変わらないが、
はたして出版元まで取り締まる必要があったかどうか。
巷には、実際、怪しい「健康本」が溢れかえっており、これらも取り締まりの対象になるかというと、言論・出版の自由との兼ね合いで、話はまたややこしくなってくる。
暴力団排除条例では、暴力団に部屋を貸した家主もそれなりの責任を問われるようだが、
これと構図は同じ?
このたびの逮捕は、「健康本」出版社の自主規制を狙っての見せしめかも。

2011年8月19日金曜日

四国遍路-5

【5日目:8/19 約29km】
「晴れた日は太龍寺の山が朝日に輝くが、今日は曇ってるね」 女将さんが見送ってくれた。
途中標高200mほどのちょっとした峠を超えて約8km、二十二番平等寺に到着。
二十三番薬王寺までは、あと21km。
国道55号線は車が多い。トンネルを2ヵ所通り過ぎたが、車の轟音と狭い歩道には恐怖心が湧く。
距離は少し伸びるが、歩き遍路には交通量の少ない25号線のほうが良さそうだ。
25号線を進むうちに、雲が消えまた陽が照りだした。
由岐を過ぎると海が見える。
田井の浜、木岐の湊を通過。漁村の店屋でペットボトルとアイスクリームを調達したのは良いが、固いアイスクリームを食べ終わった頃、ヨメさんが「しまった!」と言う。
杖を店に忘れてきたのだ。
500m程を小走りで、杖を取りに戻りました。
小さな半島を跨ぐ峠に、車道をそれる遍路道がある。
山道だが良く整備され、数十メートル毎の木標にかかれた俳句を、歩きながら読めるようになっている。
二つ目の山道を抜けると残りはあと4km。
日陰の少ない道だが、海を見ながら歩けたのが唯一の救い。
やがて日和佐城が見えて来た。
もう少しだ。
薬王寺らしき屋根の重なりも、山の中腹に見えて来た。
赤い欄干の橋を渡って、右折すると残り約500m。
今回最後の寺の山門が、手を伸ばせば触れる位置まで迫ってきた。 (完)

徳島県内の一国打ち。計160km少々ですが、歩いてみると「長かった」というのが今回の偽らざる気持ちです。
<発心の道場>を卒業し、次回<修行の道場>に足を踏み込む時は、世俗を持ち込まないという意味では、単独行に惹かれるのですが、さてどうなりますか・・・

2011年8月18日木曜日

四国遍路-4

【4日目:8/18 約28km+α】
十九番:立江寺へ向かう旧道は、竹藪の細い道を蜘蛛の巣を払って進むのだが、スパイラル状の迷路のようで、3度も同じ場所に出てしまった。
夜だと、キツネか狸に化かされたと思うに違いない。
立江寺から二十番:鶴林寺に向かう国道では、コンビニで製氷アイスを買いこみ、タオルにくるんで後頭部を冷やしながら歩いたが、氷もすぐに溶けてしまう。
鶴林寺に登る山道は、幅の狭い舗装道で、期待したほどの日陰がない。 日陰になるとアブも顔を出してきた。
寺の自販機をあてにして、途中でペットボトルを空けてしまったのだが、寺に着いても自販機は見当たらず、かなり悲惨な心境に。
菅笠の中にも熱気がこもってムンムンするので、トイレ横の水道で、ペットボトルに水を汲み、何杯も頭や手足にかけまくる。おかげで、靴をぐじゅぐじゅに濡らしてしまい、このあとの下りでは、マメの絆創膏がはがれて、ひりひりと痛い。
標高450mを下り切り、橋の手前に自販機が見えた時は、思わず守屋浩の「ありがたや節」を歌いそうになった。
二十一番太龍寺へ向けての登りは標高差470mだが、沢に添ったスロープは木陰も多くて楽だった。
ところでこの山は、反対側からロープウェイでも登れるのだ。
向こうから団体客がやってきたので、納経で待たされてはかなわないので、
先にご朱印をいただくことにして、納経所に杖を立てかけ、お参りを済ませて戻ってきたら、なんと私の杖がない。
どうやら団体客の一人が、故意がミスかは判らないが、取り違ってしまったようだ。
お杖といえば、お大師さんとの同行二人、4日間だけとはいえ、苦労を共にした杖がなくなってしまった。
桐製で軽く、4面に般若心経が書かれた、ちょっと小ましなやつだったのに。
山を下り、宿へ着く直前に、今日もまた突如スコールのような夕立に遭遇。
ぬれ鼠となって宿に転がり込みました。

2011年8月17日水曜日

四国遍路-3

【3日目:8/17 約35km】
この日は行程が長い。とりあえず11km先の十三番:大日寺を目指す。
スタート直後に予定していた遍路道は橋が流されて通れないとのことで、川添いの車道を行く。
道路沿いの大日寺は、ヨメさんに寄れば来たことがあると言うのだが、どうも思いだせない。
十四番:常楽寺には、山頭火の「人生即遍路」の大きな石碑がありました。
十五番:国分寺、十六番:観音寺を経て、十七番:井戸寺までは、距離は短いが、
荷物を背負って暑い日差しの下を歩いていると、徐々に疲れが溜まってきます。
そんな時、自販機を見つけると思わずホッとします。
コンビニを見ると、ありがたくて涙が出そうになります。
井戸寺から十八番:恩山寺までは17kmあるのですが、阿波踊りで賑わった徳島の市街地を抜けるコースと、街はずれを行く旧遍路道とに分かれます。
街中だとコンビニもあって嬉しいが、街はずれの遍路道には自販機はあるだろうか・・・不安が過ったのですが、エイヤっと旧遍路道を選択。
でも、こちらを選んで正解だった・・・と信じたい。
「地蔵越」という山道があるのですが、湧水の飲める休憩ポイントもあれば、
かぁ~ん、かぁ~んと心地よく響くししおどしの音に導かれながら、沢道を歩む場面もありました。
遍路で良いなあと思うのは、やはり昔の面影が残るこうした道ですね。
車道へ出てからもまた長い道のり。「あと何キロ?」と何度もヨメさんに聞かれながら、
ようやく5時前に十八番:恩山寺を打ち終えることができました。


2011年8月16日火曜日

四国遍路-2

【2日目:8/16 約31km】
吉野川を渡り、街並みを抜け、コンビニに寄りながら山裾に位置する十一番:藤井寺へ。
本堂の左からに登山口に取り着くと、木陰のひんやり感にほっとします。
しかし、まもなくいたるところからアブが出撃してお出迎え。
登り切るまでに、腕や脚3~4ヵ所を刺されました。
遍路ころがしと呼ばれる十二番:焼山寺には以前も来た事があるので、
途中の柳水庵や浄蓮庵の大杉など、記憶に残る景色には懐かしい思いがしました。


標高750mの浄蓮庵から、300m下ってまた250m登り返すと焼山寺。
納経所のお坊さんに所要時間を聞かれ、4時間半と答えると「健脚ですね」とのこと。
境内には杉の大木が多い。休憩所を借りて、街のコンビニで買ったおにぎりとパンを食べ、昼食としました。
下りの山道は快適で、旧遍路道を抜け出てほとんど車の通らない舗装道を歩いていると、
4時頃だったでしょうか、空が急にかき曇り、一転夕立となりました。
その時、生け垣の向こうから顔を出したお爺さんが、遍路休憩所を指さし「休んでいけ」という。
雨も激しくなってきたので、これ幸いと休んで居ると、お爺さんから缶コーヒーのお接待・・・
ありがたい!
この日到着した民宿でも、おかみさんが、汗で汚れた二人分の洗濯物を「遠慮なく出せ」といい、
洗濯までやっていただいた。
冷えた麦茶2リッターも卓上にデンと置いていただいたが、またたく間に乾いた身体が吸い取ってしまった。
途中から少し気になっていたのですが、私は左足裏に、ヨメさんは足の指にマメを作っていました。





2011年8月15日月曜日

四国遍路-1

出立前日の夕刻、一番:霊山寺にてお遍路に必要な最低限の衣装と道具を揃えます。
笈摺(袖なしの白装束)、菅笠、お杖、納経帳、納札、経本など。
頭に巻く手ぬぐいは「お接待」で頂戴しました。


【初日:8/15 約30km】
朝7時、霊山寺の山門を潜る。
お参りを済ませ、備え付けの「歩き遍路帳」に記帳して、いざ出発。
二番から五番は寺間の距離が短いので、トントンと打っていったが、 六番の手前でコースミス。
五差路でうっかり進む角度を間違えた。
六番:安楽寺、七番:十楽寺は禅宗系の寺なのか、山門が中国風の作りなのに驚く。
山裾の八番:熊谷寺へ向かうあたりから、暑さでうんざり、口数が減ってくる。
腹も空いて来て飯が食えそうな所を探しつつ進むのだが、歩き遍路の少ない季節は、なかなか開いている店が見当たらない。
九番:法輪寺を過ぎ、外人の美人お遍路さんに出会ったあたりから、心拍が上がり始める。
この日最後の十番:切幡寺の山門をくぐると急に頭がくらりとし、貧血状態のようで、思わずへたり込んでしまいました。
首から肩にかけてちぎれるほどだるく、軽い吐き気もあり、 顔色も悪かったようです。
低血糖もしくは初期の熱射病が疑われたので、ブドウ糖、塩分、水など、考えられるものをあわてて補給し、頭を低くして休んで居ると徐々に回復してきましたが、ヨメさんじゃなく、私が先にこうなってしまったので、もう面目丸つぶれ。
睡眠不足だった上に、昼飯も抜きで、きびしい日射の中を歩き続けたこと・・・
もっと遡れば、ランニングのトレにもずいぶん御無沙汰の上、声帯手術で入院後、ろくに運動もしていなかったので、日射に不慣れだったことも原因でしょう。
たかが”歩き” 「なんとかなるさ!」 と気楽に考えていたのですが、甘かったことを、いきなり初日に思い知らされました。
寺でらの本堂と太子堂で、必ずお経を上げていたのですが、 ここはもうその元気もなし。
納経所でご朱印だけを頂戴し、そそくさと2kmほど先の宿に向かいました。
冷房を強めにした部屋で一休み、冷たいビールを飲む頃には、体調もほぼ元に戻っておりました。

2011年8月9日火曜日

「もっと知ってほしい子宮頚がんのこと」大阪

8/6(土)、大阪ブリーゼプラザ小ホールで行われた「もっと知ってほしい子宮頚がんのこと」に参加してきました。

ティール&ホワイトリボンプロジェクト、MBS「VOICE」、キャンサーネットジャパンの三者の協力によるイベントです。
声帯の手術後、まだ日が浅かったので、CNJのスタッフとしての参加というよりは、半ばお客さんとして足を運び、デジカメ撮影のお手伝いをしながら、演者の話を聞かせていただきました。
患者の体験談としては、23歳で子宮頚がんを患った阿南里恵さんの話が胸を打ちました。
独身女性が子宮を取られる・・・そして抗がん剤治療に耐え、放射線治療も受けるわけですから、我々オヤジ(ジジイ?)の前立腺がんとは、悲壮感も違えば、病と立ち向かう覚悟も格段に違いますね。
抗がん剤の副作用で丸坊主となった写真も見せてくれましたが、すごくかわいくてすてきでした。

お医者さんの話のほうは、国立がん研究センター がん予防・検診研究センター 濱島ちさと先生。
スクリーニングの手法や公衆衛生学がご専門の方だけあって、検診に関しては詳しい解説があったのですが、ワクチンの話は時間の関係で省略となりました。
また、診断や治療法に関しても、もともと専門外ということもあって、特に触れられませんでした。
もう一人別に婦人科の先生がおられてその辺の解説をされるのなら、それでも良かったと思うのですが、「もっと知ってほしい子宮頚がんのこと」から期待する講演内容としては、範囲が狭すぎると言うか、ちょっと物足りなさを感じました。
タイトルが「もっと知ってほしい子宮頚がん”検診”のこと」なら、濱島先生お一人でも良かったと思うのですが。

8/8のMBSのニュース番組「VOICE」では、上記の模様が紹介されました。
司会が「VOICE」のキャスター高井美紀さんでしたから、これは当然でしょうね。
MBSのHPにも紹介されています。
http://www.mbs.jp/voice/jump_over/

子宮頚がんの予防に必要な事を一口で言うなら、
「10代ではワクチン、20代以上では検診を!」

2011年8月4日木曜日

無事退院

7月27日から入院していましたが、7月30日に無事退院できました。
4日間の入院でしたから、あらかじめ聞かされていたより、ちょっと早かったですね。
手術の前には、「ひげを剃らないと」と言われて焦りましたが、まあなんとかなりました。
入院中の暇つぶしにと思って、急いで文庫本を4冊買って持ち込んだのですが、そのうちの3冊は(司馬遼太郎「峠」上・中・下)すでに読んだ本でした。
良くあるんですね、こういうことが(^^;;;

当初、聞いていた病名は「喉頭腫瘤 右声帯ポリープ」
全身麻酔で「直達鏡下喉頭微細手術(ラリンゴマイクロサージェリー)」を受けたのですが、術後の説明はこんなぐあいでした。
 ・切開すると粘液が出て来た
 ・嚢胞全体を取ると声帯が小さくなりすぎるので、袋は取っていない(←ええんかなぁ?)
 ・良性だから心配はいらない
声を出してはいけないので、こちらからはあまりつっこんで訊けません(^^;;;
ネットで調べてみると、どうやらこれは「声帯嚢胞」という病名のようです。

退院後も5日間は自宅養生(抗生物質と消炎鎮痛剤を飲みながら)で発声禁止と言われていました。
筆談っていうのもめんどくさいですね。
こっちが書いた字を、ヨメさんに見せても、まずは老眼鏡を取りに行きますから・・・
まあそれほど重要な話があるじゃなし、ほとんど「首振り」か手話のまねごとで切り抜けました。

今日(8/4)無事に発声の解禁日を迎えました。
時々、うっかり返事をしてしまうこともあったので、声が出ることは判っていたのですが、調子のほどはわかりません。
ものは試しと、仏壇の前に座り、般若心経を唱えてみたところ、特にひっかかりもなく声が出たので、まずは一安心。

以前は高音域がまったくだめで、♪ドレミファソ・・・ ぐらいから擦れ始めて 、後はほとんど出なかったんですが、小声で音階を歌ってみると、1オクターブ半ぐらいは出るみたい。(^_^)v
音を延ばすと擦れて途切れやすかったのも、かなり引っ張れるようになりました。

ただ、声色はやっぱりこれまで通り・・・「オッサン声」。
若かりし頃の美声?が戻るかと思ったんですが・・・高望みだったようです。

数週間、場合によっては数ヵ月かけないと効果がわからないケースも多い・・・と聞いていたので、すぐにこれぐらいの効果が出ているなら、ひとまず手術は成功だったんじゃないでしょうか。

まだしばらく大声は出せませんけど、これで日常生活に不自由はなくなりました。

2011年7月26日火曜日

声帯ポリープで手術入院

明日(7/27)から声帯ポリープの手術で入院します。
静かな場所で話をしている時はあまり気にならないのですが、少しにぎやかな場所だと、 声が濁ったり、かすれたりすることも多く、たぶん2枚の声帯が完全に閉じない分、 音声変換に要するエネルギーのロスが多いんでしょうね。
実際の声より、いくぶん大きめの声を出すつもりでないと、うまく発声ができないもんで、 飲み会など、にぎやかな場所での会話は疲れます。
カラオケなんかもまったくダメになりましたし、 たまに人前で話をさせてもらうこともあるのですが、日によって声がでにくいこともある・・・
放っておいても治らないし、どうせ治すなら早く治した方が良いだろうと思って、手術をすることに決めました。
クリニック、病院、2ヵ所で診てもらったんですが、どちらも「良性」とのことですから、 あまり心配はしていません。
ただ、うまく治る場合もあれば、効果がいまいちはっきりしない場合もあるようです。
ヘタすりゃ悪化することもあるらしいから、「上手にやってね」と祈るだけ。
手術は一応全身麻酔、1時間前後で終わる(執刀時間は15分程度だとか)簡単な手術だそうですが、 その後数日間、まったくしゃべれないというのが歯がゆいですね。
1週間以内に退院できる予定なので、病室へはPCを持ち込みません。
行ってきまぁ~す。

2011年7月15日金曜日

原発事故と放射線治療

東北大地震・大津波から4ヵ月が経過した今、現地の被災者の方々の復興への取り組みも、まだ糸口に着いたばかりとはいえ、漸時ニュース等でその様子が伝わってくるようになりました。
しかし、原発事故による避難区域では、人間の活動はまったく途絶えたまま。
野生化し餌を求めてさまよう家畜も、早晩死に絶え、完全にゴーストタウンと化すことがわかっていても、もはや我々には救う手立てもありません。
地震・津波は自然災害ですが、原発事故は地震・津波により露呈した人災です。
地震や津波のニュースには悲しみを覚えますが、地震や津波が「想定外」と言い逃れをする原発関係者には憤りさえ感じます。
「原子力村」の人々は、一旦燃え始めると消すこともままならない「神の火」に対し、あえて不測の事態に目をつぶって「安全神話」を作り上げ、常に人知のコントロール下にあると宣伝し、我々に錯覚を抱かせてきたわけですが、このたびの大災害で、ついにそのうその構図が暴かれてしまったわけです。
都会に住む我々も、原発には潜在的リスクを感じながらも、自らの電力需要をだまって地方に押し付けて来たわけですから、決して罪がないとは言い切れません。
今、大いに反省し、原発を再考すべき時が来ているのではないでしょうか。

原子炉でウランを連鎖反応的に核分裂させ、その時に発生する熱を利用して蒸気を沸かしタービンを回すのが原子力発電所ですが、原子炉が「燃える」過程で二酸化炭素は生じないかわりに、様々な放射性核種(放射性廃棄物=死の灰)が生成されます。
それが大気中に拡散し、海に流出しているのが「FUKUSHIMA」の現実です。
東日本の各地では連日放射能濃度が測定され、汚染された稲ワラを食べた牛の肉からは、高濃度の放射能が検出されています。
この肉を食べれば人間も当然内部被ばくをするわけで、食物連鎖の恐ろしさはとどまるところを知りません。

それでも、「ただちに・・・影響はない」というコメントが出されることが多いのですが、比較的先の短い大人はともかく、将来性豊かな子供達にとってはどうなのか。
放射線の感受性が大人より数倍高く、がんなどの晩発性後遺症に遭遇しやすい子供達には、当然大人より厳しい規制があってもしかるべきなのに、校庭利用の放射線許容限度は、行政のご都合主義から「20ミリシーベルト」と決められました。
病院の放射線管理区域で一般人の立ち入りを制限しているのは「1ミリシーベルト」、放射線技師などの専門従事者の許容限度が「20ミリシーベルト」です。
病院に連れて来た子供が、一人で放射線管理区域に入り込んだら、親は慌てて引き止めると思うのですが、被災地では、子供の扱いが、平常時の一般人を飛び越え、放射線技師と同じレベルだというわけです。

私は、手術では治療が難しいと言われた前立腺がんを78グレイ(2グレイx 39回)の放射線治療で治すことができました。
その意味では放射線の恩恵に浴している一人ですが、原発事故による放射能と、病院で行う放射線治療とはどのように違うのでしょう。
医療用の放射線というのは、原子核の分裂により発生するものではなく、直線加速器(リニアック)により電子を加速し、それを金属に当てることによりX線を発生させています。
要するに人間の意思によるコントロールが可能で、発生する放射線も原子核分裂ほど多種ではなく、X線に限定されます。
(陽子線や中性子等もありますが、ここでは省きます)
放射線治療ではグレイという単位が用いられ、放射能測定ではシーベルトという単位が用いられていますが、話を単純化すれば、X線やガンマ線では放射線荷重係数が1ですから、シーベルト=グレイと考えて差し支えありません。
私は、毎日2シーベルト(2グレイ)の放射線を前立腺に受けたわけですが、これはあくまで限局的です。もし、これを全身に浴びると、5%の人が30日以内に亡くなると言われています。広島原爆で浴びせられた放射線量は約4シーベルトで、これだと約50%の人が亡くなるそうです。全身に放射線を浴びると、7シーベルトでほぼ全員が死亡するとのことですから、合計78シーベルトの放射線を浴びた私がピンピンしているというのは、あくまで限局的な外部照射だったからに他なりません。
放射線が原子に当たると電子を弾き飛ばしてイオン化する作用がありますが、これが細胞のDNAにも損傷を与えます。
細胞分裂が盛んな細胞ほどこの影響を受けやすいわけですが、がん細胞は正常細胞より細胞分裂が活発なことが多く、また、ダメージの復元力はがん細胞より正常細胞のほうが勝っています。こうした細胞の感受性の差、復元力の差を利用して、がん細胞を選択的にやっつけることが可能なわけです。

核分裂反応を伴わない放射線治療は、晩期後遺症への注意はそれなりに必要ですが、今後ますます進歩・充実していかなければなりません。
私は、原子力の研究者よりも、放射線治療医や医学物理士が増えることを切に願っています。

2011年6月25日土曜日

長谷寺~三室戸寺

折りを見て西国33ヶ所巡りをしていますが、この季節はやっぱりアジサイでしょう。
八番長谷寺は牡丹で有名ですが、夏にはアジサイも境内を彩るという。
仁王門から続く数百段の登廊の両側に咲き乱れるアジサイをイメージしていたのですが、花はみな小ぶりで、あちこちにパラパラと咲いている程度・・・期待しすぎでしたね。
修行中の若い坊さんが鐘楼によじ登り、ホラ貝を吹き始めたのですが、こういっちゃなんですが、これがまたへたくそ(笑)
まあ、経験を積んでだんだん上手になっていくのでしょう。
十一面観音立像の特別御開帳というのもありましたが、入山料(500円)とは別に1000円を要すと聞いて、まあええかと(^^;
ちょうど昼過ぎ、腹も空いてきた頃。
参道の土産物店で売っていたくさ餅とおこわ饅頭に目が行って、つい暖簾をくぐってしまいました。

近鉄で長谷寺から小倉に移動。宇治までの道はカンカン照りで汗をふきふき歩きました。
平等院脇から宇治川の中之島を抜けて宇治上神社、源氏物語ミュージアムを素通りし三室戸寺へ。
十番三室戸寺も2度目ですが、前回は御朱印をいただかず、ランニングついでに立寄っただけでした。
本堂に蓮の花をあしらうのがカメラポイントなんですが、蓮はまだつぼみが少しだけ、ちょっと早すぎましたね。
開きかけのつぼみはいくつかあったので、もう1~2週間もすれば綺麗な蓮が見られるでしょう。
広い庭園に咲くアジサイはよかったですね。
少し萎れかかったものもあったので、こちらはもう月が変わるとだめかも知れません。
庭園内の茶店でかき氷(宇治金時700円)を食べたところ、量が多くて、食道と胃がキンキンに冷えてしまいました。
帰りは京阪宇治から淀屋橋へ出て、梅田のビアホールで喉を潤しました。

2011年6月18日土曜日

葛井寺~岡寺~談山神社

まずは、近鉄「藤井寺」で降りて約5分、小雨降る中を十一面千手千眼観音(国宝)で有名な「葛井(ふじい)寺」へ。
地元で「観音さんの日」といえば18日のことで、境内には屋台も出るし、観音さんも御開帳される日です。
千手観音と言っても普通手は千本もないのですが、行基開眼というここの千手観音は小手が1000本、大手が40本あるといいます。期待していたのですが、厨子の扉は空いていたものの、うす暗いので手は数えられませんでした。(^^;

近鉄で「飛鳥」に移動すると、うまい具合に雨も止んできました。
飛鳥は何度か来ているので飛鳥寺、石舞台などもあっさり通過し、そのまま「岡寺」へ。
ここの本堂は予想以上に格調がありましたね。中に入るとでかいご本尊が鎮座しておられ、その迫力に圧倒されます。塑像(土で作った仏像)としては日本一だそうで、どこかインド風の面影が漂っているように思われました。


さてこの後は、近鉄テクテクマップを頼りに、山越えルートで多武峰の談山神社へ。
山道のとっかかりが判りにくかったのと、山道が狭くぬかるんでいるところも多かったので、ややてこずりました(^^;
藤原鎌足を祭っている神社ですが、神社にはめずらしく十三重塔(重要文化財)があります。
神仏混淆の名残りでしょう。
本殿はあいにく工事中で丸太の足場が掛っていましたが、拝殿の外周廊下の風情はなかなか良かったですね。
また降り始めた雨の中を多武峰バス停へと向かいました。

2011年6月11日土曜日

脱原発セミナー

ネットでの呼び掛け「脱原発100万人アクション」の一環として企画された
「脱原発セミナー」(講師:京大原子炉実験所 小出裕章さん)に行って来ました。
神戸元町の170人収容のメイン会場はすでに満杯で、スクリーンを設置した第2会場へ案内されたのですが、ここも通路にも人が座り込み、後部スペースもほとんど立錐の余地がないほど。
無理やり割り込んで2時間立ちっぱなしで講演を聞いてきました。
講演の内容は色々あったのですが、覚えているのは少しだけです。(--;

・機械は必ず壊れる。
・人は必ずミスをする。
・地震帯の上に原発がずらりと並ぶのは日本だけ。
・原発を都会に建てないのは潜在リスクが大きいから。
・原発1基で広島原爆の1000倍のウランが必要。
・原発をすぐにやめても困らない。発電の余力はそれだけ大きい。
・子供の屋外活動制限基準の年間20ミリシーベルトは許せない。
・火力発電所はCO2を出すが、原発は死の灰(核燃料廃棄物)を出す。

2011年6月8日水曜日

免許証更新

ゴールド免許で講習はなしかと思っていたんですが、一時間の普通講習が付いていました。
4~5年前の駐車違反が尾を引いていたのかな?
ICカードになったので、国籍、本籍は表示されておりません。
(機械で読み取りは可能ということで、8ケタの暗号を設定したけれど、たぶん自分で読むことはないでしょう。
 暗号もそろそろ忘れかけています・・・(^^)>)

普通車、中型車の規格変更に伴い、普通自動車免許証が中型自動車限定免許証に変更になりました。

2011年5月30日月曜日

えびす~だいこく100kmマラソン

先週は「100km」のボラスタでしたが、今週はランナーに変身。
ゑびすさまの総本社といわれる美保神社 http://www.shinbutsu.jp/39.html からスタートし、
大国主神(だいこくさま)を祭る出雲大社へゴールする「えびす~だいこく100kmマラソン」に行ってきました。
NJRCというランニングクラブの仲間にさそわれ10数人での遠征です。
ウルトラ初心者の女性のお供をしながら走ったのですが、悪天候(台風の影響でずっと雨)は辛かったでしょうね。
途中、車に水をかけられ泥水が口の中まで飛び込んで来たのには参りました。
島根原発を迂回しながら数キロ走るところがあるのですが、防潮堤の内側の原発の海抜はやはり低いですね。
見ているだけで心配になってきました。
結局、55kmの関門にひっかかり収容バスに乗り込んだのですが、天候のせいでしょう、
普段なら完走するはずの走友数人と顔をあわせて、お互い「おっ」と声を出して爆笑。
晴れて居れば海岸線のもっと良い景色を堪能できたと思うのですが、それだけがちと残念でした。

2011年5月22日日曜日

水都大阪100kmウルトラマラニック

ウルトラランナーとしてちょっと名の知れた女性(佐田さん)が企画し、実行委員長を務めている大会です。
2009年に始まって今年で3回目を迎える大会ですが、我々地元のランナー仲間もこれに協力し、ボランティアスタッフとして、毎年お手伝いをさせてもらってます。
私が担当したのはエードステーションで提供するソーメンですが、これは前日に茹でておく必要があるんですね。
ところが、前日は東京での「男性のがん」セミナーと重なり、ソーメンを茹でるのはすべて家内まかせに・・・(^^;
当日は早朝から店(エードステーション)を出していたわけですが、途中から降り始めた雨が土砂降りとなり、ランナーに差しだすドリンクの紙コップにもテントの屋根から滴る雨水が流れ込む悲惨さ。
風も強くてテーブルの紙コップが吹き飛ばされる場面も何度かありました。
寒くて震える場面もあったのですが、でも、これが辛いかといえば、そうでもないんですね。
ランナーに声援を送ったり、冷やかしたりしながら過ごすというのはけっこう楽しい時間なんですね。
ウルトラでは自分が走ってサポートを受ける時もあれば、こうしてサポートをする時もある。
お互いさまという気持ちがあるので、「ありがとう」とお礼を言ってくれるランナーも多いですしね。
これがウルトラの良いところではないでしょうか。
エード撤収後はゴール地点(大阪城公園)に移動し、最終ランナーまでゴールを見届けましたが、
涙を浮かべて駆け込んでくるランナーを見ていると、こちらも胸が熱くなります。
朝から晩まで、丸1日ボラスタを楽しませていただきました。

2011年5月21日土曜日

”もっと知ってほしい「男性のがん」のこと”

昨年は「泌尿器のがん」というセミナーがありましたが、
今年はちょっと切り口を変えて「男性のがん」というセミナーが、秋葉原でありました。
司会はTBSテレビ報道局解説室の小嶋さんで、精巣腫瘍の講演は京都府立医大の三木先生。
前立腺がんの講演は東京厚生年金病院の赤倉先生。
トークセッションには、精巣腫瘍の患者(鈴木さん)と前立腺がんの患者(私)が
これに加わるというスタイルです。

三木先生の精巣腫瘍の講演も熱の入ったものでしたが、ここではノーコメント。
赤倉先生は「間欠療法」の第一人者としても良く知られている方で、
「前立腺がんの最新治療法」に関して、非常に充実した講義をしていただきました。
前立腺がんのセミナーと言えば、これまでは「初級編」に終始することが多かったのですが、
このたびは始めて手ごたえのある話が聞けました。新薬情報もそのひとつです。
薬の承認を早めるには、やはり患者の声が一番だそうですね。(これは控室の雑談だったかな)

講義の模様(ビデオ)は下記のサイトで公開されていますので、ぜひ一度ご覧になってみてください。
http://cancerinfonavi.extide.mediasite.co.jp/Mediasite/Catalog/pages/catalog.aspx?catalogId=47f5c915-f2b6-41b4-af7c-1865a22d2626

私の出番はトークセッションだけだったので、何も準備はしていなかったのですが、
精巣腫瘍と前立腺がん共通の問題として「就労」と「性」の問題が取り上げられました。
いずれの問題も、年齢層の高い「前立腺がん」より、若い患者さんの多い「精巣腫瘍」に深刻なテーマですよね。
「就労」といわれても私は自営業(形だけは社長でしたが)だし、
「性機能」のみならずパートナーとの関係までつっこんで聞かれても・・・
いやぁ~ともかく冷や汗が流れました。(^^;

2011年5月19日木曜日

ひょうごがん患者連絡会総会

毎月例会があるのですが、今月は年に一度の総会でした。
「ひょうごがん患者連絡会」というのは、こちらのサイトを見てください。
http://hyogo-capa.net/
実はこのサイトも私が作成したものです。
普段はさしてお役にも立っていませんが、
一応監事(理事)を務めている関係上、総会では会計報告に目を通す役目があります。
会計報告と言っても、項目数も少ないので家計簿より単純ですね。

今年度の活動目標として、主なものは次の3つです。
・がん検診受診率の向上
・がんサロンの充実
・兵庫県がん対策推進条例の制定

がん対策推進条例というのは、近畿地方ではすでに奈良県、大阪府、京都府で
可決され、和歌山県、滋賀県でも検討が始まっているとか。
少し乗り遅れた間のある兵庫県ですが、なんとか追いつきたいと思っています。

条例の内容は、がん対策基本法と重なる部分も多いのですが、
条例を検討するなかから、議員、行政も含めた協力関係ができれば、
それに越したことはないと考えています。
進展があれば、また報告させてもらいます。

2011年5月18日水曜日

定期検診

3ヵ月検診の日だったので、K大病院へ脚を運んできました。
PSAは1.3で先月と同じ。ここ2年ほどは、1.0~1.5の範囲で適当に揺れ動いています。
あと1月でちょうど放射線治療を終えてから6年になりますが、
放射線治療の主治医も「ええですね、順調ですね」。
院内の食堂で昼食を取り、天気が良かったので河原を歩いて帰りました。
鴨やゆりかもめを見ながら歩くのはなかなか気持ちが良いですね。

2011年5月17日火曜日

甲府市でセミナー

某生保さんが特約店等の関係者を集めて開催されるセミナーに講師として行って来ました。
聴衆は80人ぐらいでしょうか。
たいてい60分で話をすることが多いのですが、うっかり熱が入ってしまい予定を10分ほどオーバー。
はじめてですね、こんなことは。(^^)>

前日まで信州に行っており、一旦帰宅して再度あわただしく甲府会場へ向かったんですが、
・・・アウトドア用のラフなスタイルで、セミナーに出る勇気がなかったもんで・・・
信州のゆったりタイムが身体に刻み込まれてしまったのかも知れません。

山梨県と言えば、富士山が間近でみられることが楽しみだったんですが、
あいにくと天気は曇り空で、富士山の姿を拝むことはできませんでした。
残念!

2011年5月16日月曜日

「翔羊山荘」

5月15日~16日は鹿島槍の麓(大谷原)にある山小屋に行っておりました。
学生時代はワンゲル部でしたが、当時、部員が力を合わせ、アルバイトで金を貯めて建てた小屋で、公募で付けた名前が「翔羊山荘」。
ほぼ40年ぶりのワンゲル同窓会でした。
小屋へ向かう道筋では、十数匹のニホンザルがお出迎え。
還暦を過ぎたおっちゃん、おばちゃんが集まって、ギター伴奏で歌を歌ったり、
冷沢(つべたざわ)で冷やした手打ち蕎麦や、野草を採っててんぷらにしたり・・・
いわば学生時代の再現ですね、けっこう楽しんできました。 (^^)v
そうそう、冷沢ではカモシカも目にしましたね。
対岸の山から下りて来て、我々を横目に悠然と上流に消えて行きました。
帰り道、大町の山岳博物館の庭から見た、後立山連峰(写真は鹿島槍)は最高でしたね。
この季節ならではの雪形(逆獅子、鶴、種まき爺さん等)がきれいに見えていました。

2011年5月8日日曜日

槙尾寺

西国33ヶ所のうち4番槙尾寺に行ってきました。
登山口まで車で行って、山門(写真)をくぐると雰囲気は完全に山の中。
新緑を見ながら石段の多い坂道を約30分上ると槇尾寺に着きます。
そこから山道をぐるりと回って元に下る予定だったのですが、
ちょうどこの時、インターネット接続ができず、地図をDLできなかったので、
ままよと適当に歩いていたら、五つ辻から下る方向を間違えてしまいました。
全体の位置関係が頭に入って居れば間違わなかったと思うのですが、
案内板の矢印の角度がどう見てもズレていたんですね。
おかげさんで、予定にはなかった清水の滝も見物するはめに。
滝へ行くルートは所々にはしごや鎖場があって気が抜けません。
結局、滝を見てから引き返したんですが、1時間ほど予定外の道を辿ってしまいました。

後日談ですが、新聞を見てぞっとしました。
この滝の近くで年配の方お二人が転落し亡くなっておられます。
いくら簡単な山でもなめてはいけませんね。
地図も持たずに出かけたことを反省しています(ーー;;;

2011年5月6日金曜日

萩往還マラニック

この連休に萩往還マラニックという大会が開催されました。
5月2日夕方6時に山口県瑠璃光寺をスタートし、上郷~油谷~長門~萩からは参勤交代に使われたという往還道を通って、4日の夕方6時までにまた瑠璃光寺まで戻ってくる合計250kmを48時間以内に走破するものです。
私も2年ぶりに参加したのですが、残念ながら完踏ならず。
長門市仙崎(140km)でリタイヤしました。
2か月弱泥縄式練習はしてみたものの、普段からの練習不足がやはりボディブローのように効いてきて、疲労がいつもより早かったですね。
走り始めて20km過ぎから左足の裏に違和感が生じ、早々と肉刺予防のテープを張ったのですが、この肉刺が50kmあたりでパチンとはじけてしまい、以降すべて痛みをこらえながら前へ進まねばならなかったのが憂鬱でしたね。
仙崎では知人二人がすでにリタイヤを決めていたこともあって、ついこれで痛みから解放されるという誘惑に負けてしまいました。
2年前は終盤も余裕をもって完踏できたのですが、なかなか思うようにはいきませんね。(^^)>

2011年4月28日木曜日

鶴岡

庄内空港から乗った車が鶴岡公園にさしかかるとちょうど桜が満開でした。
この公園の中には、昨年オープンしたばかりの藤沢周平記念館があります。
所用で鶴岡に出かけることとなりましたが、鶴岡と聞いてまず頭を過ったのは
藤沢周平とその作品に出てくる「海坂藩」のこと。

所用を片付けてさっそく藤沢周平記念館を訪れました。
藤沢作品は8~9割方読んで居ると思っていたのですが、並んでいる多くの本をみると
案外半分ぐらいしか読んで居ないように思えてきました。
読書記録を残しているわけでもなく、読んでも次々と忘れていくので、
どれだけの作品を読んだか自分でも正確なところは良く判りません。
開館一周年を記念して「『用心棒日月抄』の世界特別企画展」が開かれていました。

藤沢周平の原作で映画化されたものは
「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」「武士の一分」「蝉しぐれ」「花のあと」など
沢山あるのですが、まもなく「小川の辺(ほとり)」という映画が公開されるとのこと。
短編だと思うのですが「小川の辺」というのはちょっと思いださないので
読んでいないかも知れません。
そうそう、藤沢周平とは無関係ですが、本木雅弘主演の「おくりびと」もこの地方の話でした。

翌日は山伏修行で有名な羽黒山に脚を伸ばしました。
登山口(羽黒センター)でバスを降り、随神門をくぐって谷へ降り雪道を登り返すとすぐに五重塔。
ここから山頂までは杉並木の間の石段(2400段超)を40分ほど登ります。
山頂にはまだかなりの雪が残っていました。
三神合祭殿は屋根の葺き替え?作業中、全貌が良くわからず残念でした。
鐘楼は茅葺屋根を太い柱が支えています。
山上の諸堂を一通り見終わった頃、パラパラと雨が降り始めたので急いで山を下りました。

2011年4月23日土曜日

相田みつを展

現在、堺市立東文化会館で相田みつを展が開かれています。
今日はウィークデイの上にあいにくの雨だったもので、
観客が予想より少なく、静かな雰囲気の中でゆっくり見ることができました。

東京の「相田みつを美術館」へも行ったことがあるし、本も数冊持っているので、
始めて目にする作品は少なかったのですが、何度見ても良いものは良いですね。
こんな作品があります。
大震災の今だからこそ、心にしみるものがありますね。


2011年4月21日木曜日

大津でセミナー

一旦、春の陽気に慣れた身体には、昨日、今日の寒さが堪えますね。

某生保さん主催のセミナーが大津であり、講師として行って来ました。
落語家が高座に出ても、その時々でノリ(手ごたえ)が異なると言いますが、
近頃少しその気持ちがわかりかけてきました。
どうせ前立腺がんの体験談が中心ですから、話は毎回さほど変わらないのですが
(時間の長短によって多少コンテンツをいじくりますが)
会場の雰囲気はやはりそのたびに異なりますね。
その雰囲気を察知しながら、上手に話ができれば一番良いんでしょうけど、
こちらは素人ですから、そんな器用なことはできないんですよね。
でも、今日は始め眠たそうな顔をしていた人も、だんだん目を開いて聞いてくれていましたから、
たぶんそう悪いできではなかったんでしょう。
「リラックスは必要だが、集中は欠かせない!」・・・この辺の頃合いが難しいと思っています。

2011年4月17日日曜日

六甲全縦

ここのところ走る話が多いのですが、これには訳があります。
来月のゴールデンウィークに「萩往還250km」という大会がありますが、それを目指してのトレーニングです。
山口県下の周回コース250kmをほぼ寝ないで48時間以内に戻ってこなければいけませんから、レースというよりは修行(巡礼)に近いですね(^^;

普通はそれ相応のレベルの人が出場する大会なんですが、私は普段はろくに満足な練習もしていないので、3月以降大慌てで泥縄式トレーニングをやっているところです。
1月~2月は 70~80km/月 しか走っていなかったのですが、3月は210km、4月もこの六甲縦走で約200kmになりました。
月間200kmというと、一般の方は凄い距離だなと思われるかもしれませんが、ウルトラランナーにとっては普通と言うかむしろ少ない方かもしれません。

六甲全縦というのは須磨浦公園から宝塚までの約55kmですが、これをどのぐらいのタイムで、どのぐらいの疲労度で行けるのかが、私の場合、自分の走力を測る物差しになっています。
先月までは縦走そのものが難しいというレベルでしたが、今月始めにようやく完走することができました。
それから2週間、今回が2回目の挑戦となります。

前回より45分ほどタイムを縮めて、8時間40分。
疲労度もややましになったので、ようやく脚ができ始めてきたようです。
そうは言っても過去の元気な時と比べると、まだせいぜい8割程度のできでしょうか。
年々衰える体力も合わせて考えると、この程度で良しとしなければいけないのでしょう。

本番までもう後2週間ですから、ハードな練習はたぶんこれが最後ですね。
後は調子を整えて、「萩往還250km」を走る(歩く)のみです。
出場する以上はやはり完踏を狙います!

2011年4月13日水曜日

六甲~有馬~宝塚

4/13はウィークデイですが、良い天気だったので午後から六甲へ。
宝塚から登り始めて、頂上下の一軒茶屋から魚屋道を通って有馬へ降りることに。
途中で筆屋道の分岐を発見、実はこの分岐に道標が立ったのはまだ比較的新しく、
私も始めてだったので、魚屋道を外れて筆屋道を辿ることに。
良く整備された遊歩道で「有馬温泉癒しの森」を通って瑞宝寺公園へ。
ここの紅葉は有名ですね。
随分昔ですが、秋の大茶会に参加したことがあります。
あとは有馬街道へ出て、一般ハイカーなら電車がバスに乗るのでしょうが、
そのまま有馬街道をとことこ走って176号線へ。
ここからはもうだらだら歩きとなりましたが、歩いて宝塚の自宅まで帰りました。
走ったり歩いたりで30kmぐらいでしょうか。

2011年4月10日日曜日

ダイトレ縦走

関西の山好きに「縦走路」と言えば、たいてい「六甲」か「ダイトレ(ダイヤモンド・トレール)」を
連想するようです。
ダイトレと言うのは、金剛山→金剛石→ダイヤモンドといういわばダジャレですから大阪人らしいネーミングかも。
4/10(日)は、ダイトレ縦走大会(登山の部:36km)に参加してきました。
ランの部もあるのですが、今回はヨメさんも出場するのでおつきあいですね。
リタイヤ覚悟だったのですが、予想がはずれて9時間15分で全コースを踏破しました。
昔、現役ランナーだった頃は5時間半もあればすんなり走り切っていたのですが、
今やウォークでもけっこう疲れるようになりました。
歩いてこれぐらいの疲労度だったら、始めから走っていたらどうなっていたんでしょう(冷汗)

2011年4月8日金曜日

家電トラブル

近頃相次いで我家の家電にトラブルが発生しています。

まずは冷蔵庫。
どうも冷えないと思って温度計で測ったら「強」でも10度以上ありました。
17~8年経った2世代も前のやつだから、「修理できたとしても8万以上かかる」と言われ、
あっさりあきらめて買い換えることに。
展示品の現品限りで約半額だったから、ほぼ修理代で買えました。
省エネにもなったことだからまあこれは良しとしましょう。

次はホームコタツ。
ヒーターが点きません。
横長のやや大型テーブルだったので、コタツユニットも横長の34cmx28cm。
調べてもらいましたが、このサイズは今はもうないそうで、汎用品なら29cm角。
テーブルの桟を付け替えないとだめですが、裏面ですから素人の日曜大工でも
たぶんなんとかなるでしょう。
しかし、やっぱり現物を見ながらの方が確かでしょうね。
取り寄せもできなくはないが、入荷予定は10月末だとか。
今さら急ぐわけでもなし、汎用ヒーターの入荷を待つことにしました。

そのまた次はガスファンヒータ。
ヨメさんが点灯スイッチを押したところ、ボンッという音と共に、火が付かなくなりました。
その後、時間をおいて数回試しましたが点灯せず。
ぼ~っと煙が出る時も。
ガス屋に見てもらった時も煙が立ち上がったので、即「これはもうダメ!」と言われました。
ファンヒータも、今から買うには時期外れなんですよね。
したがってこれも次の冬が来るまで先送り。

こう立て続けに色々出てくると、次は何かと考えてしまいます。
時々PCの動作がおかしいのですが・・・大丈夫か?(冷汗)

2011年4月6日水曜日

BSプレミアムで映画鑑賞

NHK-BSプレミアムで山田洋二監督推薦の映画100本の放映が始まりました。
夜10時からなので、布団に潜りこんで見ております。
4日は小津安二郎監督の「東京物語」。
有名な映画なので中身には触れませんが、笠智衆のつぶやくような会話が秀逸でした。
原節子、杉村春子・・・皆さんお若いですね。

5日は木下恵介監督の「二十四の瞳」。
これは何度か見た映画でしたが、童謡を背景に小豆島のなつかしい田舎の風景が映し出されるだけで、すぐに目がうるんできます。
子供達が親に内緒で、怪我で休んでいる大石先生に会いに行く場面があります。
遠くに来てしまった不安で、一人が泣き始めると次々と泣きながら
それでも全員で歩き続けるのですが、
同じような記憶が私の子供時代にもあるんですね。
人数が複数だったという意味では、この「二十四の瞳」の場面に似ているし、
帰り道が心細かったという意味では、芥川龍之介の「トロッコ」に似ています。
こういう場面に出くわすと、子供の頃の甘くて「辛かった」思い出と重なり、
ほとんど号泣してしまいます。

2011年4月2日土曜日

「六甲全縦」

六甲全縦はずいぶんご無沙汰なんで、文字通り「チャレンジ」という感じになりました。
須磨浦公園スタート8:15。
先週の淡路島一周リタイヤ以来、連日走っているので、尻と太ももの裏の筋肉に疲労物質がたまり、やや無理を押しての「全縦」です。
スタート直後の登りから脚が思うように動かず、先が思いやられます。
高倉台の先にある400階段もよれよれ。前半のハイライト菊水山の登りでは足がちぎれそぉ~。
桜茶屋着12:45(4時間半、ここでおばちゃん相手に缶ビール休憩:10分)

摩耶山の登りが、また辛いのなんの。
ここから後がろくに走れません。
昼過ぎまでは温かい良い天気だったんですが、徐々に冷えて来て、風も出てきました。
ガーデンテラスからはウインドブレーカーを着こみ、鼻水をたらしながら
一軒茶屋から東六甲縦走路を駆け下り(あまり走れず、歩きが多かったのですが)
麓の塩尾寺に着いたのが17:40(9時間25分)
一応ヘッドライトの用意もしてたんですが、これは使わずに済みました。
一般登山者から見れば速いように思えるでしょうが、
トレイルランナーとしてはあまり褒められたタイムではありません。
全体的に歩きが多く、ボロボロでした。

2011年3月29日火曜日

淡路島1/3周?

物好きなグループ30人弱で、淡路島を走ってきました。
「淡路島一周」練習会という呼掛けだったんですが、私は練習不足で一周は到底無理。
皆さんの脚を引っ張らずに、どこで撤退するかが勝負どころ(^^;
東浦BTを10時にスタートし左廻りに走るわけです。左回りのほうが、夕陽・朝日を拝めます。
45kmぐらいまではなんとか付いていけたのですが、だんだん脚が言う事を聞かなくなり、
慶野松原のコンビニでは、一人取り残される形となり、こりゃあかんとリタイヤを決め、リーダーに連絡を入れました。
日が暮れ始めたのに、高速バスの乗り場(陸の港西淡)がわからず、灯りがついている湊の飲み屋の暖簾をくぐり、西淡BTの場所とバスの時間を確認。酔いの回った客が親切に教えてくれました。
時間待ちと寒さよけを兼ねてここに居座り、泡で喉をうるおし腹ごしらえもして、数キロ離れた西淡BTへはまた駆け足。
無事間に合って帰宅できました。(^^)v
私以外の皆さんはほとんどが完走とのこと。さすが精鋭グループです。(私は約55kmでリタイヤ。場違い!?!)
練習不足が最大の敗因ですが、5kg体重が増えているのも痛いところ。(>_<)

2011年3月25日金曜日

がん対策推進条例について

がん対策基本法が成立したのは2006年ですが、これを受けて各都道府県ではがん対策推進基本計画策定が進みました。また、この基本計画だけではあきたらず、「がん対策推進条例」の策定を考える府県も増えてきました。
現在(2011年3月末)では、すでに14府県と4市町が「がん対策推進条例」を有し、約7県が制定を検討中とのこと。水面下で動いている府県もかなりあるはずですから、今年度中にはおそらく20府県を越すでしょう。

近畿地方だけを見れば、奈良、大阪、京都がすでに制定済みで和歌山が準備中・・・私の住まう兵庫県でも、そろそろこうした条例が必要な時期に差し掛かっているのではないでしょうか。
条例の概要を、我々自身が知り、関係者にも知っていただくため、まずは、14府県の「がん対策推進条例」の現状分析が必要だと思ったわけです。
 ↓これがその現況調査表です。
 http://hyogo-capa.net/data/img/ganjorei-table.pdf

まだ条文の内容にまで踏み込んだ詳細チェックまではできておりませんが、それぞれの府県の条例にどんな内容の項目(条文)が含まれているかの一覧表を作成しました。
14府県の条例をすべてプリントアウトして、それぞれの項目を比較作成したオリジナルデータですが、この表をじっくり見ていただければ、府県ごとの特徴が見えてくると思われます。

もし、皆さんの都道府県で、まだ「がん対策推進条例」が定められていなければ、条例制定運動をおこしてみませんか?
「条例制定」の取組みは、だいたい下記のような流れが多いようです。
私はひょうごがん患者連絡会に対し、H23年度の取り組みとして、これを具体的に進めることを提案したいと考えています。

STEP1:調査
 ・県のがん対策や、がん対策推進計画の内容を調べる
 ・県議会の厚生労働委員を調べる

STEP2:情報発信
 ・県議会議員、地元メディアに他県のがん条例の制定状況を知らせる

STEP3:アクション
 ・がん患者団体やその連合会を設立し、活動を開始する
 ・がん条例制定を求める活動について、地元メディアに取材要請
 ・県内の関係者を集めて、がん条例制定を求めるシンポジウムを開く

STEP4:要望
 ・知事に、がん対策の推進とがん条例制定を要望する
 ・県議会議員に、がん条例制定を進める超党派議員連盟の設置を要望する

2011年3月22日火曜日

紀三井寺・粉河寺

小雨の降る中、西国33ヶ所の2番紀三井寺と3番粉河寺に行ってきました。
自宅から車で(^^;

紀三井寺は有名ですから、もっと由緒ある鄙びたところかと思っていたのですが、
さほどでもなかったですね。
みやげ物屋の正面、朱色の山門をくぐると、長い石段とその左側面の石垣が迎えてくれます。


ここの石がきは横に平べったい石を多く使っているんですね。
石段を登って右側には、新しくできた(平成20年)鉄筋コンクリート造の仏殿が設けられ、
中にはこれも新しく作られた金色に輝く大観音像(木造:千手観音)が祭られています。
中に入って3階まで上がってみたのですが、景色は大変良かったのですが、この建物が昨今流行りの納骨堂を兼ねていることも判りました。お寺のしたたかな商売気を覗き見たようであまり良い気持ちはしませんでした。
仏殿の反対側にある本堂は、手が加わっていないので、それなりの時代を経て来た渋さが感じられました。
寺はやはりこうあってほしいものです。

粉河寺は予想以上に立派な寺でした。大門をくぐり石畳を歩いていくと、大門よりも立派かと思える中門が現れます。

屋根の張り出しの構造とそのスケール感はさすがです。
中門をくぐって左手に見えるのが、石を多用した粉河寺の名園。いわゆる和風の庭園とは大きく異なるので、これが名園と言われても良くわからなかったのが正直なところ。
本堂は規模も大きく堂々たるたたずまいです。本堂横の大楠の根の張り方もただものじゃない。
平安時代にはすでに名刹として有名だったようで、今に残るいくつかの建物にも往時の七堂伽藍の面影が漂っています。

2011年3月16日水曜日

原発事故

大地震、大津波の惨劇は目を覆いたくなるばかりですが、原発事故も恐ろしさという意味では決してひけをとりません。
目に見えない部分が多いだけにいっそう不気味ですね。
原発事故も天災が引金となったのは確かですが、テクノロジーの過信という人災も合わさっていたように思えてなりません。
原発新設の折りには、常にフェールセーフが強調されてきました。
原発というものは、何重もの安全で守られており、万一ちょっとした事故が発生しても、大きなトラブルが起きないように設計され、運営もされていたはずなんですが、このたびはいとも簡単にその安全神話が崩れ去ってしまいました。
人間の能力は自然の前では赤子に等しいということなんでしょうか。
石原都知事がこのたびの災害を「天罰」と表現してマスコミ等から叩かれましたが、こと原発に関してはそれも正しいのではないかと思っています。

娘婿のオジサンですが、まだ連絡がありません・・・

2011年3月12日土曜日

昨日14時46分と言えば、私が金沢の某会場でちょっとした講演(おしゃべり)をしていた時間帯なんですが、 熱が入っていたせいか?地震にはまったく気づかず。
座ってた人が天井見上げてきょろきょろしていた時があったので、たぶんその時だったんでしょう。 
講演が終わってから、「大きい地震があったらしい」と聞きましたが、すんなりと聞き流し、そのあと21世紀美術館を見物しておりました。 

18時頃だったでしょうか、帰り道、JR金沢駅に入ると、人集りがあり号外を配ってたんですね。 
これを見て肝をつぶしました。マジ、大地震やがなぁ!津波も襲ってきた!!! 

帰宅が遅かったので、その晩はTVに齧りつくだけで、心当たりの安否確認が取れたのは今日になってから。 
娘のダンナが仙台出身なんですね。 
デイサービスへ出かけたままおばあちゃんが一晩行方不明だったのが、今朝無事が確認されたとか。 
でも、オジサン(お父さんの兄弟)とはまだ連絡がとれないまま。 
数百人が亡くなった仙台若林区というから、心配が募ります。 

2011年3月6日日曜日

修二会(お水取り)

この時期、奈良で恒例のイベントと言えば、東大寺二月堂のお水取りですが、
ことし限定のイベントとしては、薬師寺東塔の特別拝観があります。
薬師寺東塔は創建後1300年を経て解体修理をすることとなり、その内部の特別拝観が始まっています。
欲張って、どちらも一度に見てしまえと言う事で、5日は奈良に行ってきました。

薬師寺では、まずは聚寶館と大宝蔵殿「慈恩大師像特別公開」を見学。
東塔の中へ入ると、東京スカイツリーのモデルにもなった?という揺れる芯柱が中心にあり、
それを4本の柱が取り囲み、4本の柱をさらに12本(一列4本)の柱が取り囲んで居ます。
そして、4本の柱と12本の柱の間に仮設通路が設けられており、見学者はそこをぐるっと1周するわけです。
天井板に書かれている極楽に咲くという花の模様は、かなり擦れており、よほど気をつけてみないと全体の形は判りません。礎石から浮いているという芯柱の底部を見たかったのですが、これは見ることができませんでした。

薬師寺から東大寺へ向かうルート上には、有名なお寺がいくつかあります。
薬師寺へ来る時は、いつもその北にある唐招提寺もワンセットで訪れることが多かったのですが、
このたびは唐招提寺は迂回路になるので省略させていただきました。
薬師寺を出て東へ車道伝いに4kmほど行くと、大安寺です。
ちょうど馬頭観音像が公開中でした。
境内にセットされたガーデンテーブルで、昼飯代わりのおにぎりをほうばって、途中、ならまちをぶらつきながら元興寺へ。ここは曽我氏のお寺ですね。
大安時、元興寺とも大伽藍を有する寺だったのですが、いまはどちらもちと寂しいですね。
元興寺から猿沢の池を挟んで北にあるのが興福寺。
ここは藤原氏の寺ですが、今でも立派な伽藍がたくさん残っています。
南円堂が西国33カ所の9番札所となっており、ここで御朱印を頂戴し、国宝館で有名な阿修羅像とご対面。
国宝館には阿修羅像以外にもおもわずうなりたくなるような仏像がたくさんありました。

そして、いよいよ東大寺へ。
大仏殿の参拝を済ますと、時間はちょうど5時。
まだ少し早い気がしたものの、人波に流されつつ二月堂へ脚を運びました。
始めしばらくは良弁杉の近くに陣取り座りこんでいたんですが、まもなくスピーカーで「全員起立、もっと詰めて!」という放送があり、時間と共に続々と人が増えてきました。
このあと最後まで約2時間立ちっぱなし。冷気が足の裏から立ち上がり、ともかく寒かった。
お水取りの行事をするのは12日だけだそうで、1日から14日までは正しくは修二会と言います。
満願の14日は10本の松明が勢ぞろいするらしいのですが、今回見たのは1本ずつの松明が順に回廊を移動するもので、一時に見られるのは左右2本。
それでも、松明がまわされ、火の粉がどっと散ると歓声が上がっていました。
写真撮影もフラッシュは禁止ですが、フラッシュの止め方がわからず写すのを断念。(^^;;;
冷えた身体を鍋やきうどんであっためてから帰路につきました。

見る方は気楽で良いのですが、修二会を行う練行衆の行法はとんでもなく厳しいものだそうですね。


2011年3月3日木曜日

昨日(3/2)は、体験談のお話しをするために、行田(ぎょうだ)市(埼玉県)に行っておりました。
我々関西人は、栃木とか埼玉あたりには土地勘がなくて、どうもピントきません。
JR西の駅員にもそんなところがあるようで、上越新幹線を熊谷(くまがや)で乗り換えて、行田までの切符を買ったんですが、熊谷で自動改札を通過しようと思ったら、警報にひっかかりました。
行田というのは、上越新幹線と並行したJR線を東京寄りに1駅戻ることになるのですが、買った切符の乗車券は熊谷経由ではなく、直接行田までの料金となっていたようで、その間の往復料金360円を新たに徴収されました。
駅売りきっぷでもこういうミスがあるんですね。

行田市というのは城下町だったんですね。
忍城[おしじょう]というお城がそれなんですが、石田三成2万の軍勢に責められても、五百の軍勢でそれを防いだとか・・・
この秋に「のぼうの城」という映画が公開されるのですが、その舞台がここ行田市だそうです。
のぼうの城(映画)のオフィシャルサイトはこちらです。
http://nobou-movie.jp/index.html

写真は復元された三階櫓の外観ですが、中に入ると鉄筋コンクリート製であることがわかります。外観もどこかもっちゃり気味のプロポーションなので、どこまで正確な復元か、ちょっと疑ってしまいました。


ついでに、城の由来も写してきました。

2011年2月28日月曜日

前立腺がん市民公開講座

昨日に引き続いて、2日連続のシンポジウム(^^;;;
内容はまったく違いますが、じっと座ったきりですから、身体には良くないでしょう。


今日は大阪難波のホテルで前立腺がんの市民公開講座。 (J-CAP研究会主催)
司会は膳場貴子さん。
彼女とは一応顔なじみなもので、きっちりご挨拶もしときました。(^^)v 

先生方お三人の話は、15分ずつですから、その内容は改めて記すほどでもありませんが、 
ゲストの永六輔さんの話は面白かったですね。 
永六輔さんを交えての対談もあったんですが、前立腺がんのレールから外れっぱなしなので、 
さすがの名司会者(膳場さん)も、たじたじでした。 

永六輔さんが言う「良い患者の10カ条」とはこれ。 
3時間半のシンポジウムで、私がメモったのはこれだけでした(^^)> 

1)誤診や医療ミスで驚かない 
2)自分で病名を決めない 
3)待合室の噂話に加担しない 
4)同じ病気の医者を探す 
5)同じ趣味の医者を探す 
6)医者(診察)に行っても気取らない 
7)命の終り方を考えない 
8)遠くの名医より近くの獣医 
9)奇跡を信じない 
10)「ご臨終」と聞こえたら、寝たふりをする



2011年2月26日土曜日

がん検診フォーラム

がん検診フォーラム「今から始まる、がんへの備え」 2/26 13:30~ (神戸新聞 松方ホール)

検診や予防のセミナーというのは大小色々あるのですが、
私が出掛ける時と言うのは、たいてい知人が出演するか、ゲストに興味があるかのいずれかです(^^;

今回は「ひょうごがん患者連絡会」の田村事務局長が登壇されるので、神戸まで足を運んできました。
田村さんは、すでに70代の後半ですが、普段から事務局長としての仕事ぶりは確かなもの。
わずか1年半の間に、膀胱がん、胃がん、胆管がんをわずらった経験を語りながら、
がん対策について思うところを述べておられました。

ゲストの作家「玉岡かおる」さんは良く知らなかったのですが、『お家さん』で織田作之助賞を受賞するなど、かなり活躍されている作家でした。

まだがんが不治の病とされ、告知もしないのが普通だった時代に、母を乳がんがんで亡くされ、現在は、早期発見すれば治るようになり、さらには、子宮けいがんのようにワクチンでがんが予防できる時代がやってきた。
思い返せば夢のよう・・・こんな話をされていました。

私も同時期に親父をがんで亡くしていますから、母を看取った壮絶な体験談は身につまされる思いでした。

2011年2月24日木曜日

走友を見送る

ウルトラマラソンのベテランで、伴走仲間でもあったYさんが22日に亡くなりました。
ほぼ1年前に胃がんが発覚。
すぐに手術をされたのですが、すでにかなり進行していたもようです。
昨年9月のリレーフォーライフにも参加いただいたし、
その後も時々金剛山に登っていると聞いて、早く復活してほしいと願っていたんですが、
突如、悲報が舞い込んできました・・・あっという間でしたね。

通夜の会場では、「立山登山マラニック」のビデオが流れていました。
富山湾の海水に手を浸してから、常願寺川沿いを遡り、3003mの雄山の頂上まで駆け上るというかなりハードな大会で、彼がブラインドランナーの伴走をしてゴールテープを切った時のビデオです。
(この時のゴールは私も一緒でした)

西方十万億土にあるという極楽浄土への旅路は、ウルトラランナーにとっては、案外楽しい旅かもしれません。
旅立ちの早い遅いは、はるかかなたの極楽浄土から眺めれば、ほとんど意味がないのかも。
どうか心安らぐ旅路となりますように・・・合掌。

2011年2月21日月曜日

三回忌

母の命日は23日なんですが、お坊さんの都合とこちらの都合をすり合わせて、19日(土)となりました。
18日は直前の準備をあれこれと、19日は来客(と言っても、ほとんど身内だけですが)、それでも10数人を迎え、読経の後は、そろって墓参りと食事(法事懐石)。
孫と姪っ子の子供達が走りまわる食事となり(個室でしたから、ま、ええかと)、母もたぶん苦笑していたはず。
ただ、私は車の運転手だったので、酒はまったく飲めませんでした。
北海道から出て来た弟夫婦がわが家にお泊りだったので、帰宅してから飲み治し。

20日は、弟夫婦を空港まで見送ったあと、「リレーフォーライフ芦屋」の打合せ会へ。
まだ非公式ではありますが、今年(2011年)も昨年と同じ場所で、9月10日~11日に開催することが内定しました。
さあてと、今年もがんばりますかぁ。

2011年2月18日金曜日

在宅医療にかんするセミナー

13日のセミナー「在宅医療を考える」(講師:関本クリニック 関本雅子医師)に続き、17日も類似のセミナー「どうなっている在宅医療の現状」(だいとうクリニック 大頭信義医師)を拝聴しました。
大頭医師は診断群分類包括評価制度(DPC)の及ぼす患者への弊害を強調されていましたが、
うんうんとうなずいて聞いていても、情けないことにセミナーが終わればその大部分がノーミソから消え去ってしまいます。
うろ覚えですが、こんなたとえもありました。
・入院していると、治療法と関係なく支払金額(病院の収入)は一定だから、骨転移の患者がメタストロン注を希望してもやってもらえない。
・入院時と別の部署の治療が必要になれば、一旦退院させられて、改めて外来を受診する必要がある。つまり、総合病院と言っても、患者にとってはなんら「総合」ではない。
・手術費などは定額とは別枠なので、初発患者は歓迎されるが、再発、再再発患者は敬遠され、行き場がない。がん難民の多発につながる。

以上、メモもとらずに聞いた話ですから、多少ニュアンスが間違っているかもしれませんが、いずれにせよ、我々患者にとって、このDPC制度というものは、あまり芳しいものではなさそうです。

2011年2月16日水曜日

検査結果

定期検査(3ヵ月毎)の結果を聞きに病院へ。
PSA=1.34、前回(1.39)とほとんどかわらず。
微減ですが、これは誤差範囲のゆれですね。
これで十分OKです。(^^)v

帰りは河原を歩くことが多いのですが、今日はどうしたわけか、
勝手に脚が電車のほうに向いてしまいました。
ついでに梅田に出て、マウスを購入しようとヨドバシへ。
種類がありすぎて迷いましたが、ワイヤスを選択。
うまくセットできるかどうか不安でしたが、
マウス本体に電池を入れて、付属の小さなユニットを
USB端子に取り付けただけで、うまく作動するようになりました。ホッ(^^;;;

2011年2月15日火曜日

RFLチャリティコンサート

下記の要領で行われるチャリティーコンサートのチラシ封入作業に行っていました。(京都まで)
封筒の口をくっつける作業ですが、テープを張るようにして糊が塗れるのって知ってました?
「テープ糊」という製品なんですが、恥ずかしながら、今日初めて知りました。(^^;
http://bungu.plus.co.jp/sta/product/paste/index.html


リレーフォーライフ
心のバリアフリー チャリティコンサート

●4月3日(日) 開演 13:00 (開場 12:30)
●ウィングス京都 イベントホール
http://wings-kyoto.jp/index.html
●入場無料。
(要事前申込・お気持ちでご寄付をよろしくお願い致します)
●チラシのダウンロードは http://rfl-ashiya.net/img/2011concert-large.jpg
●お申し込みは http://ws.formzu.net/fgen/S88996446/
●お問い合わせは mailto:kaorico@gaia.eonet.ne.jp
電話:0797-57-0007(10時~20時)

2011年2月14日月曜日

山本ゆきさん

山本ゆきさんというのは、故山本孝史民主党議員の奥さまです。
山本孝史さんは政党の枠を離れても、尊敬もし、シンパシーを感じ得る方でした。

今日の午後、神戸で在宅医療を考えるセミナーがあったのですが、
この会場に奥さまもお見えになっていました。(写っていませんが)



ゆきさんは最近、山本孝史さんのことをまとめた本を出版されたとか。
タイトルは「兄のランドセル」・・・孝史さんは、まだ子供の時に
兄を交通事故で亡くされているんですよね。
「いのちの政治家」の原点が、兄の残したランドセルだったわけです。
読んでみたいと思いました。






2011年2月13日日曜日

盲聾者の伴走

長居わーわーずという視覚障害者マラソン練習会があって、私もお手伝いをしています。
伴走は現役ランナーに任せて、給水エードや子守りの役目を引き受けることが多いのですが、
今日は盲聾者の伴走をしました。
視覚障害者の伴走は慣れているのですが、盲聾者の伴走は今日がまだ2回目。
普通はボランティアガイドの方が通訳を引き受けてくださるのですが、
今日はその方のガイドも聾唖者だったもので、うまくコミュニケーションがとれません。(焦)
まあ、それでもなんとか一緒に公園を2周しましたが(5.6km)、声で伝えることができない分、
咄嗟の対応が難しく、自転車の接近などかなり周囲に気をつかいます。
会話もなしで走りますから、わかるのは相手の息遣いだけ。
それでも、終わった時には笑顔が見えたので、とりあえずほっとしました。(^^)v

2011年2月12日土曜日

三峰山(みうねやま)

連日、雪の写真になってしまいました。(^^)>

山行の連れは同級生。
前日は名張の同級生宅に泊めてもらい、夕食は松阪牛のすき焼き。
末の娘さんからはチョコレートのプレゼント。
翌朝、奥さんには山用のお弁当まで作っていただいて、至れり尽くせり。
まあ、奥さんも昔から知ってる人ですから、厚かましくお世話になったわけです。

すぐ麓に車を止めて歩き始め、10時頃までは良い天気だったのですが、
頂上に近づくにつれて、雪と風がでてきました。風上側の顔半分がイタイほど。
予定では頂上付近でお弁当ということだったのですが、とてもそんな雰囲気じゃなし。
避難小屋で弁当にしようということで、少し下ったのですが、皆、考えることはいっしょですね。
避難小屋は人で一杯。(どうやら団体の先客がいたようです)
しかたなく、外の軒下で食べましたが、寒いし手はかじかむし・・・
髪についた雪は凍ってるし、ペットボトルもシャーベット。
せっかくの弁当でしたが、味わう余裕もなく喉に放りこんで、すぐ出発。

雪景色は抜群、これで晴れていてくれれば、言う事なしだったんですが、
そうはうまく行きませんよね。
ここは始めてでしたが、ルートも判り易いし、手軽に楽しめる雪山でした。


2011年2月11日金曜日

雪景色

朝、窓の外を見てびっくり。
これだけの雪景色が見られたのは今年始めてです。
あわてて2階に駆け上がり、写した写真です(^^)>




実は、明日は樹氷で有名な三尾山(みうねやま:奈良と三重の県境)へ登るのですが、
前日に、家に居てこれだけの雪景色が見られるとは思いませんでした。
まだ雪が舞っています。
山ではどれぐらい降っているんだろ・・・ちょっと心配になってきました。

2011年2月10日木曜日

定期検査

3月毎の定期検査でK病院へ行ってきました。
と言っても、今日は検査(血液&尿検査)だけでして、
結果がわかるのは来週の診察日。
当日すぐに結果がわかるところも珍しくないようですが、
K病院では、1回の診察に、どうしても2回足を運ぶことになります。
検査の日の支払いは3000円を少々越えるぐらいだけれど、診察だけの日はなんと数百円。
これじゃ先生(病院)にもチトお気の毒ですね。

2011年2月9日水曜日

大相撲

昔から大相撲では、何度か八百長問題というのがくすぶっていたように思いますが、
今度はとうとう火が燃え上がってしまいました。
「火のない所に煙は立たぬ」と言いますが、大相撲に関してはこれが当たっていたようです。

今年の1月場所の星取表を調べてみますと・・・暇人?(^^;・・・面白いことがわかりました。
幕内の取組で、7勝7敗で千秋楽を迎えたのは6名です。
さて、このうち勝ち越しを決めたのは、何人でしょう?

答: 6名すべてが勝ち越しています。
豊ノ島、豊真将、豪風、若の里、翔天狼、蒼国来

偶然にしてはちょっと出来すぎのような気がしないでもありません。

NCCNガイドライン

臨床研究情報センターでNCCNのガイドラインの日本語訳を公開するという話を、昨年の秋に聞いていたのですが、いつまでたってもアップしてくれないので、HPの移転を決めた頃から、自分で暇をみつけて訳してみました。
「前立腺がんの治療フローチャート」だけですが、それでもけっこう手間はかかりました。(表紙共10ページ)
しかし、これがびっくり。
いつの間にか、NCCNガイドラインの日本語訳がアップされているではありませんかぁ。
http://www.tri-kobe.org/nccn/guideline/urological/japanese/prostate.pdf

一旦は新HPに、”日本初公開”と書いて、アップしたあとだったので、正直、ちょっとショックでしたね。
私の訳にも、ちょこちょこミスはありましたが、公式な訳文にもやっぱりミスがありましたね。
さてと、私の方は医療者用と患者用、両方を比べながら訳したので、このほうが判り易いと思うのですが、そのうち、もう少し整理できた段階で、発表できればと思っています。

患者用ガイドライン(NCCN)には、デノスマブ、プロベンジ、カバジタキセルなどが当たり前のように登場しますから、日米の医療環境の差は大きいですね。

せっかくですから、私の訳文の表紙だけでも、ここで紹介しておきます。

2011年2月7日月曜日

笠そばマラニック

右足をしばらく痛めていたので(軽い捻挫)、3週間ぶりのランとなりました。
NJRCのメンバー12名が10:30に近鉄桜井(奈良県)駅に集合。
山野辺の道を経て、長岳寺から龍王山へ登り、「笠そば」で昼食。
帰り道は檜原神社へ向けて下り、山野辺の道から桜井まで。計24km。
久しぶりに走ると、このぐらいでも筋肉痛が出てしまいます。
筋肉痛だけなら良かったのですが、龍王山の下りで転倒し、アバラも打ったようで、
走ってる間は気にならなかったのですが、アフターの浴場や飲み屋で違和感が出て来て、
咳をすれば痛い(T_T)
昨年の暮れには、裏山の下りで、もっと派手に(前方1回転)こけて、背中を強打したのですが、
この時に比べりゃうんとましですから、まず3日もすれば、大丈夫でしょう。

笠そばというのは、もう数回行っているのですが、なかなかおいしいそば屋さんです。
かなり登らないといけないので、普通の人はたいてい車ですね。
http://www2.mahoroba.ne.jp/~kasasoba/

2011年2月5日土曜日

ためし履き

立春の昨日は、文字通りあったかい良い天気だったので、数日前に買った山靴(軽登山靴)のためし履きを兼ね、 裏山(中山連山)を一周してきました。ドア ツー ドアで約14km。
ランニングシューズで小走りに行けば、2時間半以内のコースですが、ほとんど歩いたので3時間近くかかりました。 
山靴じゃ、いくら快適な下り路でもちょっと走るというわけにはいきません。 
始めは山靴が窮屈でかなり違和感がありました。 
終盤の岩場を下るのも、靴同士がガッチンコするとやばいので、いつもより慎重に。 
軽い靴ずれが1ヵ所できましたが、なにぶんお初ですから、このぐらいはいたしかたないでしょう。 
1月中ごろに、足を少し痛めて(軽いねん挫?)ランニングもしていなかったので、今日は軽い筋肉痛。
情けない。(^_^;;;
途中に水飲み場があるんですが、これまで何もなかった所に、突如、こんな標識が立っていました。
わざわざ、古く見えそうな木材を使ったんでしょうか?
文字はお世辞にも上手とは言えませんし・・・急に建てられてもありがたみがいまいちで。(ーー)>

2011年2月4日金曜日

絵馬展

毎年恒例のチャリティー絵馬展に、私も2003年以来、毎年2点ずつ出品しているのですが、
今年も無事にお買い上げいただけたそうで、ありがたいですね。
せっかく描いても、売れ残ってしまうとやはり残念ですね。
2年前に1点だけ残ってしまって・・・出来はいまいちだったのですが、みなさん良く見ておられます・・・それ以来、結果がわかるまで、けっこうひやひやしております。
それはそうと、せっかくのチャリティーですから、私もお客さんの一人として絵馬を買い求めているのですが、ことしはこんなのを落札できました。
手慣れたタッチで、お上手ですね。

2011年2月3日木曜日

節分

今日は義母が病院へ行く日なもので、朝から車でアッシー君。
定期検査も無事終わり、後は薬を待つだけの時、
「これ食べない?」と手提げ袋から巻きずしを1本取り出しました。
待合ホールでそのまま、ガブリ。

自宅へ戻ってPCに向かっていると、「オニは外、フクは内」の掛け声が、風に乗って聞こえてきます。
そうそう、中山寺では毎年タカラジェンヌが来て豆まきをするとの事。
なにかイベントのある時は、スピーカーを使うので、声(音)が良く聞こえるんですね。
近所なのに、豆まきには一度も行ったことがなくて、ええい、覗いてやれ!と思って、急いで出かけました。
本堂手前の階段をのぼりながらケータイで写した写真がこれ。(背中ばっかり(^^;;;)


でも、上に上がってみると、ちょうど豆まきが終わったところ。
数人の裃の後ろ姿だけがちらりと見えました。・・・残念。

やがて晩飯の時間となり、テーブルにつくと、なんとまた巻きずしがぁ。
恵方を向いて食べるのもめんどくさいので、そのまま普通に食べました。

2011年2月2日水曜日

登山靴

先日(1/29)の同期生新年会で、友人から山に行かないかと誘われました。
三重県在住の友人で、時々会社の同僚と山に登っているとか。
じゃぁということで、近々一緒に行くことになったのですが、今年は雪もそこそこあるとのこと。

昨年、私が上った1000m以上の山と言えば、立山、大峰、大台ぐらいで、あとは近所の低山ばかり。
しかも、トレールラン気分ででかけるので、足元はいつもランニングシューズです。
若いころはワンゲルをやっていたので、山にも良く行ったのですが、昔、使っていたドタ靴を履きつぶしてからは、本格的な山登りとも縁が薄くなり、ずっと山靴を持たないままで来ていました。
山屋さんが聞いたら怒るかもしれませんが、そこそこの山でも、雪さえなければランニングシューズのほうが、ずっと気楽なんですよね。

ですが今度は雪があります。
山靴を履いて出かける頻度はしれているとは思うのですが、やはり要る時は要る!
同じ行くなら会員カードを持っている店にしようということで、モンベルでこんなのを購入しました。
グレードは昔のキャラバンシューズ並みだと思うのですが、生地はゴアテックスですから、そこそこの防水性はあるはずです。
始めはもっとローカットの靴を見ていたのですが、店員が寄ってきて、「雪のある山へ出かけるならそれじゃダメ」と言われてしまい、ご推薦にしたがいこちらにしたわけです。
ショートスパッツと4本爪アイゼンも買っときました。
行くのは本格的な雪山じゃなし、これで十分と思ったのですが、結果はどうなりますか。
山に行ったら、また報告させてもらいます。

2011年2月1日火曜日

家庭画報3月号

本日発売の家庭画報3月号(P.237~241)には、”がん名医のいる病院 ~前立腺がん~” という記事が載っています。
前立腺がんの名医と言えば、泌尿器科医が登場することがほとんどだったと思うのですが、
ここで紹介されているのは、京大病院の放射線治療科(講師)溝脇尚志先生です。
家庭画報の読者層というのは、雑誌の雰囲気から連想するに、ややセレブなミドルエイジ奥様?
それは良く知りませんが、いずれにせよ、放射線治療のテクノロジーには、縁遠い方達だと思うのですが、ハイテク放射線治療と言う難解な技術を、素人読者にもわかり易く解説し、さらに溝脇先生のプロフィールも織り込みながら、すごく良い記事にまとまっています。

京大が数年前にノバリスを導入したのは知っていましたが、新たな新鋭機器「TM2000」(IGRT:画像誘導放射線治療)を導入し、すでに稼働を始めているとか。兵庫先端医療センターにも、数年前、このプロトタイプが導入され話題になっていました。

「治療計画の作成に要する時間は2、3時間、難しいケースでは10時間以上・・・ちょうど、手術にかかる時間と同じくらい」
なるほど、そういう見方もあったんですね。

記事の最後の文章が良いですね。
「放射線治療医が見ているのは、コンピュータ画面のようであって、実は、患者さんの未来だ。」
こういう気の効いた結語は、我々理系人間にはなかなか書けません。

家庭画報という雑誌は、普段読むことはまずないのですが、このたびは事前に記者さんから、ちょっと相談を受けた経緯もあって、3月号をプレゼントしていただきました。
どこかでこの雑誌を目にする機会がありましたら、一度ご覧になってみてださい。

2011年1月31日月曜日

長崎土産

息子の嫁さんは長崎県の島原出身なんですが、先日従兄弟(だったと思う)の結婚式があり、親子3人(夫婦と孫)で出席した後、息子は仕事でとんぼ返りだったのですが、嫁さんと孫はしばらく島原の実家でゆっくりしたようです。
それが日曜に帰宅。お土産を持ってこちらに来ると連絡があったのですが、家内がインフルエンザで咳もひどいので、孫は連れて来ず、代わりに息子だけがお土産をぶら下げてやってきました。
おまんじゅうが2種類。角煮まんじゅうと花梨糖まんじゅう。
私は甘辛、どちらでもOKです。(^_^)v
角煮まんじゅうは何度か食べたことがあったのですが、花梨糖まんじゅうは始めて。
なるほど、風味は花梨糖ですが、やはりちょっと甘すぎるかな。
でもまあ、おいしく頂きました。

私も喉が痛くなってきたので、家内のインフルが染ったかもしれません。
土産はこれ!(もうかなり食べてしまいました)

孫もついでにご紹介しておきましょう。正月に届いた年賀状の写真です。
よく男の子と間違われますが、一応女の子なんですぅ。

2011年1月30日日曜日

大阪国際女子マラソン

今日は大阪国際女子マラソンの応援に行ってました。

本命赤羽が優勝しましたね。
ただ、惜しかったのは世界選手権代表が決まる2時間26分を切れなかったこと。
復路の向かい風がきつかったので、気の毒でした。

一般参加の選手にも何人か知り合いが居ますので、応援にもつい力が入ります。
写真を撮ってもやっぱり華やかなのが良いですね。(^^)v

ところでこの女子マラソンにただ一人男子選手が混じっているのをご存じでしょうか?
ハーフとかそういう中途半端じゃなくて、れっきとした男性です。
なんで?と思われるでしょうが、種明かしをすると、視覚障害者ランナー(Aさん)の伴走者(Bさん)なんですね。
伴走者は女性でなければいけないという規定はありません。

ただ、今年はちょっとしたハプニングがありました。
伴走者(Bさん)は、短い距離から超ウルトラまでこなすベテランのスーパーランナーなんですが、
途中でどうしたわけか体調不良が生じたようで、ゴールで待っていると、Aさんの伴走者が、
このレースに出場していたCさんに代わっているではありませんか!
Cさんというのは、ウルトラが得意で、普段から良く伴走もやっている、これまた頼りになるランナーなんですが、たまたま、この二人の後方数百メートルを走っていたわけですね。
レースの本番中に、急遽、人助けをするわけですから、伴走をやったことのない
普通のランナーなら、ちょっとこういう対応はできませんよね。
こういうシビアなレースでは、自分一人で走ってもしんどいのに。
結果は聞いてないのですが、”伴走者は登録者に限る”などと言われて、記録が無効になったり
していないか・・・そこまで大会関係者の頭は固くないと思うのですが、ふと心配になりました。

前から3人目が優勝者の赤羽です。

右端がAさん、隣がBさん・・・伴走ロープが判りますか?