2013年5月5日日曜日

直島

現代アートの島として近年有名になった直島へ。
高松港発8:12のフェリーにぎりぎり間に合った。さすがGW、座る席がなく展望デッキへ。

約50分で直島の西側にある宮之浦港につくと赤いかぼちゃがお出迎え。

バスで東側の本村に移動。「家プロジェクト」を見て歩くのだが、まずは待ち時間が長いと言われる南寺に向かい、11時入館の整理券を受け取り、それまでの約2時間を利用して他の「施設」を見て歩くことに。

まずは"ANDO MUSEUM" 古民家を建て直したもので、内部は新しいRC(鉄筋コンクリート)と古い木造が絡み合い自然光のみで光と影が演出されている。外見は完全に古民家なのに明るい地下室まで備わっている。中には安藤忠雄さんの作品が展示されているが、この建物そのものも安藤さんの建築姿勢を示した展示の一つと言えるだろう。

護王神社・・・正面中央に見えるガラスの階段はそのまま地下に降りており、右側の坂から廻り込んでコンクリートの狭い通路を潜ると、その地下室から怪しげに光る階段を見ることができる。
すべての施設で内部の撮影は禁止されており、写真をお見せできないのが残念。

角屋・・・入ると中は薄暗い。座敷の畳が水盤になっており、たくさんのビー玉のような光がしずかに輝いています。
碁会所・・・畳の部屋に椿が散ってる。わかりませんよね(笑)
石橋・・・休憩コーナーのある角(下の写真)を奥へ入っていきます。広い民家で庭がGood。
はいしゃ・・・これは雑然としすぎて我々世代にはピントこない。
これだけ廻って再び南寺へ。
15分毎に16人ずつ入場するしくみ。なぜそんなめんどくさいことをするのか、行けばわかる(笑)。
このあとは本村を離れ、島の南側にある美術館等の施設を見てまわるつもりで歩き出す。

パオの並んだ海の家「つつじ荘」まで来ると、大勢の人がおり、シャトルバスが止まっていた。
まだ12時半だけど、地中美術館では3時半の整理券を配っているらしい。焦ってシャトルバスに乗り地中美術館に直行。

ゲットできた整理券は4時からのもの。さて、それまでの3時間以上をどう過ごすか。
シャトルバスで来た道を歩いて引返しながら、順に施設を見てまわることに。
まずは李禹煥(リ・ウーファン)美術館へ。
階段を下りた広場にはポールと石と鉄板があり、ここから展示が始まっているわけです。入口はポールの奥の壁を左端から廻り込みます。


 外へ出て海岸に出ると島のかすみぐあいが、まるで北斎の日本画?

次はベネッセミュージアムへ。
この奥の楕円形の平面を持つオーバル棟が気になるのだが、宿泊者だけしか入れない。

山道(散策路)を降りて海岸に出る。
いろんなオブジェがあり、皆さんけっこう遊んでますね。

ベネッセハウスのレストランで昼食。混雑する時間帯を過ぎていたのでさほど待ち時間はなし。しまなみ海道では昼は簡易なものでさっさと済ませたが、こちらでは窓の外を行きかう人を見ながらゆっくりとバイキング。

草間彌生の黄色いかぼちゃの前には、写真を写すため大ぜいが行列を作っていました。
これはそんな人が入れ替わりの一瞬を狙ったもの。

ぶらぶらと「つつじ荘」まで戻り、まだ時間は早いものの、再びシャトルバスに乗り地中美術館の駐車場へ。
4時に入場券と引き換えて、やっと地中美術館へ。

各部屋の入場にもそれぞれ時間がかかり、どんなに急いでも一通り見るのに1時間はかかる。
このスリットの向こうは中庭を取りまくスロープとなっているが人の列が続いている。

5時過ぎに美術館を出て、宮之浦までの道を歩き始める。バスだと4角形の3辺を大周り、しかもシャトルバスと巡回バスの乗り継ぎとなるので、歩いた方が早いとか。宇野行きのフェリーの出発は5時40分。半ば駆け足で宮之浦港に到着、あわただしく土産を買いこみフェリーに乗りこむ。

展望デッキで夕陽を眺めていると、あっという間に(約20分)宇野港に到着。
岡山からは新幹線で帰宅。
尾道~しまなみ海道~直島と2泊3日の強行軍でした。

2013年5月4日土曜日

しまなみ海道

新大阪発6時50分のさくら543号に乗り、尾道に着いたのは8時半。
あまりゆっくりはできないので、2時間ほどを目安に尾道の散策。
海岸通りを東に歩き、海龍寺からこんどは逆に、山麓の寺院を縫うようにして引き返す。
JRの線路より山側には寺や墓が斜面に立ち並び、露地の坂や階段を歩いていると、海のすぐそばまで山が迫っている地形が実感できます。

西國時に向かう途中で複雑な坂道の狭い露地に迷い込み、あわや方向感覚を見失いチト焦りました。
千光寺へはロープウェイにて。艮神社の大楠木と民家の瓦屋根がすぐ眼下に。

展望所、文学記念館、本堂裏の巨岩の探検などは時間がないのでパス。

小走りで町に降り来て、急いで尾道ラーメンで腹ごしらえ。腹が減っては戦は出来ぬ。

渡船で向島(むかいしま)に渡り、11時半頃から歩きはじめる。今日の宿(瀬戸田)までは30km少々。
海岸線に出るとまもなく岩子島との間に架かった赤い橋が見え、それに重なるように因島大橋が見えてくるが、実際に歩いてみると、二つの橋は以外に遠く、3km程離れていた。

因島大橋は上下2段になった吊り橋で、歩行者や自転車は下を渡る。
数キロに渡って日影となるので、以前ここを走った時は暑さが厳しく大助かりでした。

因島(いんのしま)に渡ると海岸縁の公園で恐竜が出迎えてくれます。

海岸を離れて島の中を歩くこと約6km、途中で覚えているのはフラワーセンターぐらいか。
再び海岸腺に出ると小振りの斜張橋が見えてくる。

橋の下を潜り大きく廻り込みながら高度を上げ生口橋を渡ります。
しまなみ海道のほとんどすべての橋に言えることだが、取り着きにはかなりの標高差があるので、かなり大きく迂回する坂を登ったり、歩行者専用階段を登ったりしなければなりません。


生口島(いくちじま)でも右手に海を見ながら進みます。
瀬戸田高校までの2kmがかなり遠く感じたのは、少し疲れが出てきたせいかも。
ドライブイン風の店で、名物という柑橘系のジェラートを食べながら一休憩。
宿の近くの平山郁夫美術館に到着しましたのは4時半頃。
30kmを5時間・・・歩きとしてはまずまずでしょう。
美術館を見て(入館料800円)館内喫茶でコーヒー休憩。

1km程離れた宿に着いたのは5時半過ぎでした。

出立は7時40分。
ど派手な耕三寺の門前を通り、海岸へ出てしばらく進むとひょうたん島が現れます。
ひょっこりひょうたん島のモデルで、島を見物する海賊船にも乗れるとか。

道端にハナミズキと並んでレモンが植えられているのはさすが産地と言ったところ。

椰子の街路樹を見ながら進むと多々良大橋が見えてくる。これはスケールのでかい斜張橋。
橋の取り着きは階段を登ります。

大三島(おおみしま)に渡り、初めて左に海を見ながら進みます。
5kmほどで大三島橋。スパン300m程ですからしまなみ海道としては小さなアーチ橋です。
昔も通っているはずなんですが、アプロ―チはほとんど覚えておらず、こんなんやったっけ・・・と新鮮でした(^^;

橋を一跨ぎ、塩で有名な伯方島(はかたじま)へ。
林立している造船所のクレーンの前を通り過ぎ、コンビニで簡単な昼食(冷やしうどん)。

10数年前に伴走をした「しまなみ海道遠足」(100kmウルトラマラソン)では、相方の視覚障害者が暑さで胃をやられ、このあたりでリタイヤとなってしまったので、これから先は未体験ゾーン。(バスでは通過したんですが)
伯方・大島大橋を渡って大島へ。
橋を渡り切って振り返ったところです。

海を左手に見ながら進みます。

このあたりの島々は村上水軍などの海賊の根城だったようで、史跡もあちこちに。

道は海を離れて島の中央を縦断し大島南インターの入り口を過ぎると来島海峡大橋が見えてきて、螺旋状の自転車・歩行者道で橋に取り着きます。


大島方面を振り返る。先ほどこの下を通過してきました。

ともかくスケールがでかい!

渡り始めると、次々に展開する景色も最高!


瀬戸内の島々を眺めながら約6kmの橋を渡り終える。ここまでで約40km。

そのまま国道317沿いを歩いて4時半頃に今治に到着。約46km。
連休につき今治や高松など都市部のホテルや旅館はほぼ満室。止むを得ずJRで坂出に移動し、7時頃にお遍路宿に到着。明日は直島へ向かいます。

2013年4月27日土曜日

チャイルド・ケモ・ハウス

小児がんの子供たちの生活の場はベッドの上がすべてです。付き添いのお母さんは連日幅60cmの仮眠ベッドに泊まり込み、兄弟が居る場合は食事の用意のため病院から自宅に戻るという過酷な二重生活を強いられており、入院児の多くは「お家に帰りたい」と訴えるとか。
実はヨーロッパではすでに四半世紀前に(1988年)「病院のこども憲章」なるものが提唱され合意に至っています。

お家のような病院ができないか・・・日本で初めての小児がん専門治療施設「チャイルド・ケモ・ハウス」が神戸ポートアイランドに誕生し、その竣工記念シンポジウムとその後の施設見学に行ってきました。
これはその医療施設の平面図です。19のハウスユニット(19床以下なら診療所扱いとなる)がクラスター状に並んでおり、それぞれのハウスには、仕事帰りのお父さんが遅い時間にも立ち寄れるよう、直接出入りできる裏口が設けられています。どのハウスからも庭が見え、天窓からは空も見えるという、子供心に配慮した造りになっています。

施設のサインとその横に立つ楠木(くすき)院長。

駐車場から見た正面玄関。

中庭とプレールーム。見学者が多いですね。


ハウスの中庭、露地のようなアプローチも見えてます。

これもハウスから眺めた中庭。

ハウスの裏口ですが、家に帰るような雰囲気のアプローチとなっています。

とりあえず器はできたけれど、コスト・手続き・人材の確保など、その中身はすべてこれから。
近くチャイルド・ケモ・クリニックとして診療が始まるわけですが、入院の受け入れまでにはまだかなりの時間が必要とか。

2013年4月21日日曜日

水都大阪100kmウルトラマラニック

第5回目となる「水都大阪100kmウルトラマラニック」ですが、ここでは毎年エードステーションのスタッフとして大会のお手伝いをさせていただいてます。メインのメニューは冷やしそうめんですが、他にも色々。一週間ほど前から買い出しを始め、前日の晩にはそーめんの下ゆで。これは3人ほどで手分けしてやりますが、2~3時間かかりますね(^^;
当日は5時起床。6時には家をでて、資材を積んだ車で現地へ向かいます。10数名が集まり、テント設営から始まって、準備作業に大わらわ。店開きの準備が整うのはだいたい8時頃。すぐにトップランナーを迎えます。

懸念された雨はほとんど降らなかったのですが、ともかく風が強い。テントの周りに防風、防雨用の幕を張っていたのですが、風でテントが浮き上がり飛ばされそうになるので、幕は撤去。寒さに震えながら頑張りました(^O^;
ランナーもがんばってるんですから、寒いぐらいは辛抱しましょう。知り合いのランナーもたくさん走っています。ご希望があれば、こっそり泡の出る裏メニューも。(笑)

淀川に沿って2往復するコース設定。計4度立ち寄ってくれるわけですね。「お疲れさ~ん」で迎えて、「行ってらっしゃ~い」で送りだします。飲みもの食べ物は基本的におかわり自由。ウルトラでは丁寧にお礼を言ってくれるランナーが多いですね。
いつの間にか夕刻となり、最後にこのエードに立ち寄るのは残りあと10.4km。皆さんかなりへとへとです。走路上にへたり込んでたおねーさんもカメラを向けるとなんとか手を振ってくれました。

撤収後はゴール地点に移動、最終ランナーを見届けてから帰路につきました。
長い1日だったけど、楽しい一日でもありました。これやからやめられまへん(^O^)>

2013年4月14日日曜日

UMML四国マラニック2013

UMML(ウルトラマラソン・メーリングリスト)の仲間で四国のお遍路道を走るイベントがあり、早朝の高速バスを利用して日帰りで参加してしてきました。一番霊山寺の近くの巡礼宿に荷物を置いて、まずは霊山寺の門前で記念撮影。

霊山寺の多宝塔。一応作法通りに、門をくぐる時には礼をして、手を洗ってからお賽銭、本堂と大師堂で般若心経を唱えます。

二番、三番は距離が狭いので、走ればすぐ。これは四番の大日寺。

五百羅漢に立ち寄りました。

五番地蔵寺を過ぎて、六番へ向かわず番外の大山寺へ向かいます。標高400mを登るのですが、途中からは完全に山登り。

最後は長い階段を登ります。かなり堪えました(^^)>

あとはひたすら走って元来た道を引き返します。33kmですから大したことはないのですが、しばらく痛風で養生していたので、足が動きません。終盤はよれよれでした。ゴールテープを見るとまるで大会のようですが、要はお遊びですね。

風呂に入って、宿で宴会。走った後のビールは旨いんですが、痛風上がりでもあるので、ほんの1~2杯のみでした。残念(^^;